2009年2月 6日

● 寺子屋、藩校、廃県置藩のすすめ

教育に力を入れたがために滅びてしまったという国が歴史上、この地球にあったかどうか、その方面に疎い私には分からない。
 ただ、十九世紀にアジアの国々が次々に欧米の植民地になる中で日本だけはならなかった。なぜか。その背景はいろいろあるが、その一つとして誰もが認めるのは日本の教育水準の高さである。
 例えば、識字率や就学率。江戸はそれが八割から九割に達していた。同時代のヨーロッパ、もっとも進んでいたイギリスの都市で二割台、フランスにいたっては一割にも到ってなかったという。
 江戸の町は寺子屋だらけ、そこに六歳から八歳ぐらいの子が通って学んだ。読み書き、そろばんの手習い、少し程度が高くなると、四書五経、漢詩の素読など和漢の古典を叩き込んだ。だれも「詰め込み教育反対」「ゆとり教育を」など気の利いたいた口を叩くものはいなかった。強制、詰め込みこそが学力の原点であることを知っていたからである。今の日本人はそこを勘違いしている。
 こうした教育事情は地方でも同じである。各藩は厳しい財政の中で藩校をたて、塾をつくった。人材養成こそ苦境脱出の手がかりであると考えたからだ。   
 今のように「中央政府(幕府)はもっと教育予算を増やせ」と叫んでもビタ一文出るはずはない。米百俵の精神で自分でやる以外にはない。             
 世界でもトップの日本の教育水準の高さは、こうした地域、地方の自立自存の素地の中から生まれた。まさに地方分権である。 
 義務教育に反対するわけではないが、廃藩置県で教育は国の責任で行うものだとみんなが考えるようになって,教育はおかしくなったのではないか。
 全国画一的な教育ではなく、おれたちの町、あたしたちの村の子どもはこういうように育てたい、そんなイメージを作ることだ。                      
 町は貧しいけれど、何はともあれ教育だけにはカネを出そう、そんな町があってもいい。またその反対の町もがあっても仕方ない。住民が決めること。
年寄りは遅かれ早かれいずれ死ぬ。町の明日、ひいては国の未来を担うのは子どもたち。ひ弱な育て方をしてはいけない。 
 それには、読み書き、算数を徹底的に叩き込んで基礎学力作り。あの藤原正彦先生も言っているではないか、一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数と。小学校ではこれだけやれば十分。後はのびのびと体力作り。うちの町の学校では、これ一本でやりますと、町長なり教育長が考えてもそれは出来ない。
 霞ヶ関の役人たちが作ったこまごまとしたメニューウに従わなければならないからだ。 
 江戸時代に培われた地域の教育力を奪ったのは、廃藩置県による教育の国家統制である。
 結論は出た。教育の再生を図るには、廃藩置県を廃止し、新たな廃県置藩を断行、地域の教育力を甦らせることだ。     

Posted by ewsn at 17:03 | Category :

2009年1月20日

● 全員戦闘配備につけ

正月早々、胃痛に襲われ、医者に行くと、胃カメラを飲まされた。胃と十二指腸に大きな潰瘍が出来ている。正月だからといって別に暴飲暴食をやった覚えはないのだが、ピロル菌とかが大繁殖している由。この菌をやっつけるため、目下抗生物質で撃退中。
 今年は昭和で言えば八十五年、昭和五年生まれの小生は数え年で八十歳、傘寿である。人生の残照の中、余燼をかき回しながら、あと何年生きることやらとつぶやいていたら、居酒屋のオヤジいわく、「大丈夫、百歳までわしが保証する」。
 その理由は、八十の老骨を引っさげて夜な夜な飲み屋通いをする元気があるからだという。言葉を変えていえば、自分の年を考えない、年の取り甲斐のないということになる。まあいいか、オヤジの保証など当てにはならない。世の中何が起こるか分からないと思っていたら、やはり起こった。
 新年早々、単騎、槍を構えて敵陣に突っ込むドンキホーテが政界に現れたのだ。その名は元行革大臣、渡辺喜美。
 いや、ドンキホーテが立ち向かったのは風車だが、喜美先生の相手は官僚王国が築く難攻不落の霞ヶ関城。「脱官僚、地方分権」のノボリを立て、今や官僚王国の意のままの属国に成り下がった自民党藩を脱藩した先生。一人白刃を引っさげて果敢に斬り込もうというのだから、これはもう、戦車に立ち向かう蟷螂の斧どころの話ではない。          
 政治家どもが束になってかかっても切り崩せる王国ではないのだ。そんなに強い人間集団がこの日本国に存在していること自体が謎である。
 そもそも彼らを同じ日本人と見ること自体が間違いになる。確かに彼らも役人になるまでは日本人であったが、この集団に入ると次第に改造され、サイボーク(人造人間)のように人工頭脳、人工臓器に取り替えられてやっと一人前の役人が出来上がる。そうとも考えなければ、汚職役人たちがコンクリートを齧り、汚れきった酒をがぶ飲みしても元気なのは、彼らが日本人離れをした胃袋を持っているからだ。これは人工臓器以外には考えられない。   
 「恥を知る」という日本人が美徳としてきた言葉も官僚王国の辞書にはない。これだけ多くの失業者があふれていても、一億円近い退職金を手にしながら、天下り、渡り鳥でなお三億、四億と欲しがり、天下り禁止法を骨抜きにしようと画策する官僚たち。恥ずかしくないのか。自分たちの特権は絶対死守しようとする習性は、上は霞ヶ関でふんぞり返っているエリートから下は役場の窓口まで一致している。役人の労働組合はその大きな砦の一つだ。その組合を支持基盤にしている民主党に政権が移っても、役人天国の解体を期待するのは幻想に過ぎない。
 試しにエリート官僚の一人を捕まえて、その人工頭脳を解体し調べてみるがいい。そこには次のようなことがプログラミングされているはずだ。「人民(日本人)はバカである。そのバカに選ばれた政治家は、もっとバカである。よってわれわれは特権を行使し、バカどもを統治しなければならない」
 もはやイデオロギーでも政治理念の戦いでもはない。この地球には存在しないはずのサイボーグ、あるいは宇宙人と人間の戦いなのだ。相手が宇宙人なら、こちらは宇宙戦艦ヤマトで行こう。勇敢なる水兵喜美先生を先頭に立てて「興国の興廃この一戦にあり、全員戦闘配備につけ」。

Posted by ewsn at 21:47 | Category :

2008年12月16日

●知らなくてもいい

ノーベル物理学賞の益川先生が授賞式でも「I can not speak English」と言って日本語一本で通したという話は、英語コンプレックスを持った日本人にとってはなんともスッカとする一件であった。
 もし、われわれが言ったとしても面白くもなんともない。益川先生だから面白いのである。「学者のクセに英語一つしゃべれないなんてバカだなー」なんて誰も思わないだろう。
 もちろん、論文を書いたり研究資料を読んだりするには英語は欠かせないはず。読み書きはするが、しゃべれないだけ。ペラペラしゃべることに関心がなかったのだろう。だから本人は普段から英語をしゃべろうなどと思っていなかった。ただそれだけのことだろう。
 必要のないことなら、別にしなくてもいいし、知らなくてもいい。そんな時間があるならば、もっと精力的に打ち込める何かを持っている方が本人にとっては幸せである。
 だが世の中では、何でも知っている人、何でも器用にこなせる人がもてはやされる。それはそれで面白いが、反対に知らない人、出来ない人をバカにする風潮があるのは、これまた面白くない。
 その点に関して、なかなか味わいのある話を最近読んだので紹介しよう。
 故人だが歌舞伎の市村羽左衛門(十五代目らしい)がパリに旅行したときナポレオンの墓に案内された。墓の十字架を見
て「なんだい、ナポ公はヤソ教(キリスト教)か」といって感じ入ったというのである。羽左衛門といえば天下に知られた美男の名優だが、ナポレオンも死んだら禅宗か真宗の墓に入るぐらいに思っていたらしい。だがナポレオンの宗派など知らなくても、歌舞伎の芸とは関係ない。
 これも羽左衛門のパリでの話。老眼鏡を買うというので眼鏡屋にいって,玉をいろいろ変え、新聞を見せて度数を試した。いくら玉を変えても合わない。周囲が「そんなはずはない」と首をかしげると「俺は横文字は読めねー」。
 ナポレオンの話にしろ、眼鏡の件にしろ「物を知らんにもほどがある。だから役者はダメ人間だ」と非難するだろうか。否である。むしろホノボノとした人間味が漂って愉快にならないか。
 麻生総理は益川先生と違って英語に堪能らしい。これだけグローバル化した国際政治の中で直接外国の首脳と渡り合えるのは国民にとっても頼もしい。
 日本の歴代総理の中には、外国語が出来ぬため首脳会議でも群れから離れたサルのように一人ぽつんと寂しげにつっ立ってている人がいたが、そんな姿を見るのはつらかった。
 これからの首脳は英語位は出来て欲しいが、だからと言って何でも知らなくてもいい。麻生さん、カップラーメンの値段なんか知らなくていいんですよ。下々に通じているような顔をするため、スーパーのチラシにあるような豚肉の値段まで覚えることはない。もっと考ええることがあるだろうとこくみんはしらけてしまう。それこそ大衆迎合主義、ポピュリズムの極みである。

Posted by ewsn at 21:13 | Category :

2008年12月 2日

●言葉の一人歩きより「軽さ」が問題

 麻生総理の失言が毎週のように問題になっている。こう頻繁(麻生さん流に言えばハンザツ)に失言を繰り返していると、そのうちにニュースにもならなくなるかも知れないが、その前に内閣が吹っ飛んでしまうだろう。
私は個人的には政治家の失言は嫌いではない。シッポを捕まれないように官僚の書いた作文を聞かされるより、はるかにましだ。ホンネや個性が分かって面白い。それこそ一言ひとこと揚げ足を取るようなことをやっていたら、政治の世界は官僚の答えのようなものばかりになって、政治をかえって分かり難くする。
 それでも修復不能な失言をやらかして辞めるのならば、本人の自行自得で仕方が無い。麻生さんにはその恐れは十分にある。おじいさんの吉田茂首相は議会で「バカヤロウ」と怒鳴って解散に追い込まれた。そのDNAを受け継いでいるかもしれない。
 「バカ」という言葉は侮辱語だ。言われた相手はみんな怒るだろうか。そうとは限らない。
 わびしい部屋で男女が向き会っている。薄いセンベイ布団で枕を共にしているときでもいい。男は女を見つめ、しみじみという。「おまえはバカな女だなー」。どうやら二人は駆け落ちしてきたようだ。こんなウラブレた男に苦労覚悟の損得抜きに付いて来てくれたオマエ。「バカ」の一言に男の女に対する愛しさ、思いやりなどの万感の想いが込められている。どこからか「矢切の渡し」の曲が流れてきそうだ。
 もしこのとき、女が「バカとは何よ。こんなに苦労してまで付いてきてやったのに。バカにしないで」とやったらどうなるか。「矢切の渡し」変じてロック・バンドの登場だ。
 言葉は生き物だ。一言だけ、あるいはワン・フレーズだけ取り上げても一人歩きする。言っていることを理解するには、どういう時に、どういう場所で、全体の文脈の中で言葉なりフレーズがどう使われているのかが肝心である。
 マスコミの政治家の失言追及には、往々にしてこの肝心な点が欠けていないか。丁度、「バカにしないで」と怒った駆け落ちの片割れのように。
 その前に、麻生さんの場合には、言葉の一人歩きよりも「軽さ」が気にかかる。ご本人の人間の「軽さ」のように。

Posted by ewsn at 14:50 | Category :

2008年11月21日

● 恨むなら誰を恨めというのか


 元厚生次官らに対する連続殺傷事件,まだ犯人は分かっていないが、これが「厚生行政に対する政治的意図を持ったテロだったとしたら」という前提で、政治家やマスコミが盛んに論じている。言わんとするところはただ一つ、「テロは絶対許せない。民主主義に対する挑戦だ」と。私もそう思う。国民の多くもマイクを突きつけられて聞かれたら、そう答えるだろう

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Posted by ewsn at 21:26 | Category :

2008年11月15日

●歌もTPO

ビング・クロスビーといっても若い人にはなじみが少ない名前だろう。何年か前のことだが、オーストラリアのある町のスーパーだったかコンビにだったかの店の前で夜になると、若者たちが集まって騒ぎ出す。
 

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Posted by ewsn at 19:11 | Category :

2008年11月 6日

●漫画本の値段は知ってるぞ

麻生総理が国会で女性議員からカップラーメンの値段を聞かれて「四百円ぐらいかな?」と答えたという話が、いまだに尾を引いている。なぜこんなバカげた質問が国会の場にまかり出てくるのか?

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Posted by ewsn at 18:25 | Category :