2006年12月21日
●若ぶらず爺ぶらず
我が家の庭のザクロだけが例外なのだろうか。毎年、梅雨どきに花をつけ、夏、秋と次々と咲き続け、実を結び、雪がちらつこうという歳末の今、まだあちこちの枝に咲いている。小さいながら実もなっている。ザクロの花は夏の季語だ。
さすがに花には光沢はなく、実は干からび、つやがない。もはや地中から水や養分を吸い上げる力が尽きてしまったのだろう。老残というには哀れなり。いや、今のはやりの言葉でいえば「生涯現役」で頑張っているのか。
それとも、自然にまかせて冬日の中、その日がくるまで悠々と余生を楽しんでいるのか。
小沢昭一さんは、「生涯現役」よりも「退役悠々」という言葉の方が好きだと書いている。生涯現役も立派な生き方だが、最後の最後まで現役とはちょっとヨダキイ気もする。
もし、自分の葬式の弔辞で「あなたは最後まで現役で頑張った仕事の鬼でした」と褒められるのと、「悠々と余生を楽しみ、屈託なく生きた人生の達人でした」とうらやましがられるのと、お棺の中で聞いていて、どちらが気分がいいですか。人それぞれだが、「小沢昭一的こころ」からいえば、もちろん後者だろう。
どちらにしろ、老後はあまり偏ってはいけない。
「若ぶらず爺ぶらずに春を待つ」(佐塚半三)。年寄りがいやにハデハデな格好をしているのは軽薄だし、といって妙に達観したり老人ぶるのはイヤ味だ。「ぶる」のはよくない。年相応が自然だ。
先日、高校の先輩で、来年は傘寿を迎えるというA氏から「近くで飲んでいるから出て来い」という呼び出しがかかった。
二、三軒ハシゴし深夜の帰宅、翌朝はテキ面である。発熱、下痢、今はやりのノロウイルスかと医者に行ったが、医者は「はやり風邪」だという。
一週間寝込んでしまった。傘寿と喜寿が深夜まで飲み歩く様、ミットモナイ。
2006年12月 7日
●「そんなものです」
「明日ヒマなら競輪に行きませんか」。前夜、居酒屋のオヤジから誘われた。
競輪は学生のころ、といっても五十数年前だが、何回か行ったことがある。
街にはまだ戦後のバラックが建っていた。朝鮮戦争が始まるころではなかったか。
同じ寮にいた同級生がアルバイトで競輪の予想屋をしていて、夜遅くまで予想表のガリ版を刷っていた。たしか陸軍幼年学校にいたとかで共産党員だったが、いつの間にか寮からも学校からもいなくなった。
彼の予想は当たるということで、何回か車券を買ったが、当たった記憶はなく、結局スッテンテンになって寝具まで質屋に運んだ。
競馬、競輪にしろ、パチンコ、マージャンにしろバクサイがなく、勝つことがないのだから夢中になれるはずはなく、興味はないまま過ごしてきた。
「四、五千円もあれば一日中遊べて、酒もオデンモありますよ」というオヤジの言につられて別府競輪場に出向いたのだが、駐車場に車はたくさん停まっているが、閑散としている。
この日は、ここでは競輪は開催しておらず、福島かどこかでやっている競輪の場外車券売り場になっている。
そんなことも知らずにノコノコ出掛けたのだから五十数年前の競輪しか知らないものにとっては面食らうことばかりだ。
だいいち、競輪場独特の猥雑さ、騒々しさがない。屋台から流れてくる焼きイカの匂いも、予想屋のけたたましい呼び声もなく、万事が整然としている。車券売り場には大型テレビがずらりと並び、四六時中、清掃員が回ってゴミ一つ落ちていない。まるで空港のコンコースか待合室のような雰囲気で、客たちはブラウン管や出走表、スポーツ紙の予想を見ながら搭乗手続きを待つ乗客のようだ。イチかバチかの勝負師の顔ではない。賭場なんていうのはそんなもんだろうか。
ただ、この世界にも、しきたりというか、付き合い方というか、「ほう、そんなものか」ということがあるのを知ったのは勉強になった。居酒屋の常連のHさんに出会った。いつも店に来ては二、三杯飲んで静かに帰る人だ。何レース目の結果をテレビのブラウン管でHさん、居酒屋のオヤジ、私と三人で見ていたら、Hさんが「当たった」と小さな声でつぶやいた。顔の表情を少しも変えずにである。賞金十六万余円を五枚分買っていたから計八十何万円。
賞金を手にしたHさんは、少しはにかみながら、「ご祝儀」といって、一万円をオヤジと私に渡すではないか。
当てたのはHさん。いくら大金を当てたからといって、われわれがもらういわれはない。「とんでもない」と辞退したが、オヤジが語気を強めて言った。
「もらっとくものです。縁起ものだから」。
「そんなものかね」、「そんなものです」。
