2007年9月27日

●六十年来の和解

 萩野アンナさんの「背負い水」という小説を昔、読んだことがある。たしか芥川賞受賞作品だった。小説の筋書きも登場人物も内容はすっかり忘れてしまった。ただ題名だけが印象に残って忘れない。

 「背負い水」というのは、ある地方で言い伝えられてきた俗信のようなもので、人間はオギャアと生まれた赤ん坊のときに、その人が一生に飲む分の水を背負って生まれてくる。それ以上の水は飲めない、その水が尽きたら一巻の終わり、つまり運命の水だ。

 これは水に限らないのではないか。米にしろ魚にしろ野菜にしろ、多い少ないは別にしてそれぞれが食う分を背負って生まれてくる。

 私にとってそれを意識したのは、サツマイモだ。運命的に考えなくても、だいたい一生にイモを食う分なんか決まっている。

 私は普通の人よりもやや多めに背負ってきたが、すでにその分は食い尽くしてしまっている。

 終戦後の何年間、明けても暮れてもイモだった。主食もイモ。副食もイモ、間食もイモ。イモを食えば当然出るものが出るが、そのため体が黄色くなるような気がした。食糧事情が好転し、やっとイモから解放されたが、背負いイモ以上を食うことは運命的にもできない。

 いまやサツマイモは、かつての味も素っ気もない代物ではなく高級野菜だそうだ。そんなことをいくらいわれても、敬して遠ざけ、敵視してきた。うっかり手を出せば一巻の終わりである。

 だが、私の牢固とした既成概念が一夜にして崩れた。いつもの居酒屋で口にしたイモのテンプラ、煮付けである。これがイモ?、ゾブゾブ、ニチャニチャ、パサパサとしか知らない食感とはまったく別種の植物だった。

 イモはイモでも進歩と創造によって、こうも生まれ変わるものだということに気づかなかった。いや気づくことを拒否したいのだ。

 齢七十有余年にして、進歩と創造に敬意を表し、イモと和解をしよう。ここで新しいイモを改めて背負うことにすれば、人生の余白はまだまだ広がるかもしれない。

Posted by ewsn at 23:16

2007年9月20日

●戦後の余燼と呪縛

 物忘れがひどくなった。つい数日前に雑誌で読んだ一文にこんなのがあった。「終戦後の何年間の夏は毎年、空は抜けるように青く澄み切っていた・・・」。

 だれが書いていたのか確かめようと何冊かの雑誌を引っ張り出して捜したが分からない。数日前のことなのに忘れている。

 しかし60年前の夏のことは忘れていないのだ。これを書いた筆者と思いは同じである。澄み切った空から太陽だけがギラギラ照り付けていた。実際は雨も降っただろうし、台風も襲来したはずである。

 だが、それまで空を覆っていた何かがふっ切れ、ポンポンの天空が広がっていた。その思いが記憶を制し、戦後の夏はどこまでも晴れ上がっていたのである。

 もし、三十年前の夏は?40年前の夏は?と問われても困る。そんなのは長い人生の数コマに過ぎない。

 わが愛読書の一つに先年亡くなった久世光彦さんの「マイ・ラスト・ソング」がある。久世さんは少し若いがわれわれとは同時代だ。人生の今際(いまわ)のきわに、つまりラストにどんな歌(ソング)が聴きたいか、今生の思い出をどんな歌と結び付けたいか。そんな本である。

 その中でこんなことを書いている。

 「いったいいつまで、あの<戦後>に拘わっているのだろう。もう半世紀になろうというのに、私の中ではまだ<戦後>の余燼がくすぶっているようである・・・(中略)・・・私はやっぱり曇り空のようにしかあのころを思い出せない。五十年前といえば私の生まれた昭和十年に明治の鹿鳴館のことをあれこれいうのと同じである。執念深すぎる。そろそろ水に流していいころなのに、私たちの世代は、どうやら死ぬまであの<戦後>の呪縛から逃れられない世代らしい」。

 久世さんは戦後の空をどんより曇った空と見ていたのに対し、私はギラギラ照りつける空を見上げていた。

 だが、空の模様さえ呪縛として思いが残っているのは同じ世代である。

 その思いとともに浮かび上がってくるのが、ガード下のすえたような臭いがする歌「星の流れに身を占って」であり、はじけるような歌声の「青い山脈」であった。

 少年の身でありながら明日の食べ物を心配していたし、いったいこの国はどうなるのかと思ったりした。そうだ、今の若者と比べて、当時の少年は日本という国の将来ともっとはっきりと向き合っていたような気がする。

Posted by ewsn at 22:41

2007年9月13日

●民意ってイヤなものだね

 安倍政権の崩壊で一番喜んでいるのは、小沢民主でもドロ亀国民新党でもない。海の向こうから金正日の高笑いが聞こえてくるではないか。

 いくら毛並みがいいとはいえ、並みいる候補者を抑えて若きお坊ちゃまが小泉総理の後継として脚光を浴びたきっかけは、拉致問題である。

 五年前、拉致問題で安倍が小泉のお供としてピョンヤンに乗り込んだときに発した「総理、帰りましょう」という一言に国民はしびれた。

 言を左右にしてごまかそうとする金正日に対して、安倍は席を蹴って交渉を打ち切ろうと進言。一切の妥協を排する強い姿勢を示したのである。今までの日本になかった外交姿勢だ。

 このとき日本人は戦後六十年で初めて、同胞の命は絶対に守ろうという国民意識に目覚めたといっていい。

 だから民意は安倍を支持し、彼を総理に推し上げた.安倍も万景峰号の入港禁止をはじめ次々と対北制裁を下した。

 だが、拉致問題をめぐる環境は一向に好転しない。それどころか暗雲が立ち込めてきた。その一つは米朝接近である。イラクの泥沼にはまったアメリカは、これ以上、手を広げてトラブルを抱え込むことはできないというアメリカ国民の世論に対北強硬姿勢のブッシュも腰砕けになっている。

 拉致問題をめぐる六カ国協議も、「拉致の解決なくして日朝正常化はない」とする安倍政権の存在は目障りになる。安倍失脚は金正日の思うツボだ。

 早くも日本国内でも対朝強行路線転換への期待を示すマスコミ論調が出てきた。もともと日本のマスコミの中には拉致問題を見て見ぬ振りしてきた過去がある。外務省の高官の中には、「十人そこらの拉致被害者のために日朝関係を悪化させていいのか」と公言してはばからぬヤカラもいたから、安倍退陣を機にすばやく路線転換をする素地は大いにある。

 安倍待望論は民意であった。安倍失脚の背景となった参院選挙の大敗も民意である。民意、つまり民主主義は時にはおかしなことをするものだ。

 矢尽き刃折れる前に、「ボクちゃん、もういやになった」と敵前逃亡をするような人物を一国の首相に選んだ民意は、やがて「拉致問題ってなんだったけ。まだやってるの」という形で雲散霧消していきかねない。

 民主主義の民意っていうものは始末におえない。

Posted by ewsn at 18:42

2007年9月 7日

●反対派の反対に反対である

 中学校の保健体育で剣道、柔道、相撲などの武道とダンスを必修にするという。ダンスを武道と抱き合わせにしたところが、ちょっと泣かせるが、武道の必修は賛成である。
 なぜ賛成するのか。簡単にいってしまえば、予想していたとはいえ、武道必修に反対の声が直ちに起った。その反対派の言い分に反対だから賛成なのだ。

 今までだって体育には、陸上競技、鉄棒などの器械運動は必修だった。武道、ダンスは選択で教えていた。それを陸上や器械体操並みにしようというのである。それなのに駆けっこや鉄棒はよくて剣道、柔道、相撲はなぜ悪いのか。おかしいではないか。
 社会に出れば、鉄棒などよりも剣道、柔道の方がはるかに身近なスポーツなのにである。
 反対派の本音はハッキリしている。必修にした理由「武道の学習を通じて我が国固有の伝統と文化に、より一層触れることができるよう指導の在り方を改善する」(中央教育審議会)が気に食わぬからである。
 連中は「文化と伝統」は大切だと口ではいうが、「文化と伝統」と聞けば彼らの頭の中の回路には、文化と伝統‐日本回帰‐封建主義‐軍国主義‐絶対悪…という具合に不思議な電流が駆け回る。
 特に剣道や柔道、相撲も「強ければいい」というスポーツなら受け入れるが、それが文化と伝統の武道として武士道精神と結びつけばもう絶対に許すことができない。
 今度の必修化に当たって中教審は「(武道の精神に)一層触れることができるよう指導の在り方を改善する」と注文をつけている。反対派の連中にとってはそこで一番の問題なのだが、今の武道界にそんな指導までできるとはあまり期待できない。
 早い話が今回の朝青龍騒動を見よ。礼に始まって礼に終わるといわれる武道において、土俵上での数々の朝青龍の非礼、無礼に対して相撲協会も親方もどんな指導をしてきたのか。
 戦前の中学校では剣道、柔道は必修(三年からはその一つを選択)というのが一般的だった。それを禁止したのはアメリカ占領軍である。目的はハッキリだ。文化と伝統の息の根を止め日本解体である。それは今でも半ば成功している。武道復活に反対する勢力が根強いことが何よりの証しである。

Posted by kimoto at 14:33