2007年12月20日
●悪魔はすきをねらう
前回のこの欄では、「家庭の幸福は諸悪の根元」について書いた。
太宰治の小説「家庭の幸福」に出てくる言葉だ。太宰は官僚の持つ悪について考えているうちに、「家庭のエゴイズムとでもいうべき陰鬱な観念に突き当たり、そうして、とうとう、次のような、おそろしい結論を得たのである。
曰く、家庭の幸福は諸悪の根元」。
その結論にたどりつくまでの心像風景については、前回のこの欄でかいているので、詳しくはそれをお読みになっていただくとして・・・
たまたま読んだ週刊文春の十二月十三日号の「守屋と、おねだり妻。三十二年の親密」のタイトルの記事に次のようなことが出ていた。守屋とはもちろん、いま捕まっている守屋武昌前防衛庁事務次官のことである。
守屋家の床の間には、大きな絵皿が飾られており、そこには守屋の自筆で〝家族〟の文字が書かれている。いかにも強い絆で結ばれた家族像がうかがえるが、果たして〝防衛省の天皇〟にとって家族とは何だったのか、と。
夫婦でのゴルフ、妻の飲み食い、娘の留学、長男の借金の始末、そんなものを山田洋行に面倒をみさせ、挙げ句の果て、夫婦もろとも捕まってしまったのだから、守ろうとした家族が崩壊してしまったのは何とも皮肉。
家族、家庭には深い暗闇があり、そこには魔ものが住んでいる、そして、魔ものは甘い言葉で家庭の幸福をささやくのだ。
守屋はその手にからめとられてしまった。
悪魔の誘惑を断切る手立てはないのか。ある。
何事かを成さんとする志しである。
幕末の志士、梅田雲浜、「妻ハ病床ニ伏シ、子ハ飢ニ泣ク」家庭を犠牲にして国事に奔走、維新の大業を見ずまま獄死した。
みんながみんな雲浜になる必要はないし、またなれるはずはない。
ただ、志ある者があれもこれもと両手にいっぱいなどと欲張っていると、悪魔はそのすきをねらうのである。
2007年12月13日
●家庭の幸福は諸悪の根源?
連日の役人の不正、怠慢、厚顔、破廉恥といった悪行が報道されるたびに思い出す小説がある。もう六十年も前の中学か高校のころ読んだ太宰治の「家庭の幸福」という作品である。
この一文を書くために本棚から探し出し、ページをめくって確かめてみると、こんな冒頭の書き出しから小説は始まる。
<「官僚が悪い」という言葉は、所謂「清く明るくほがらかに」などという言葉同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感じられて、私には官僚という種属の正体はどんなものか、また、それがどんな具合に悪いのか、色あざやかに実感せられなかったのである。問題外、関心無し、そんな気持ちに近かった。つまり役人は威張る。それだけの事なのではなかろうかとさえ思っていた。しかし、民衆だって、ずるく汚くて欲が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、謂わばアイコとでも申すべきで…>
この小説の主人公は、まあざっと、こんな役人観を抱いていたのだが、ある晩、ラジオの街頭録音の特集を聞いていて、この既成観念が一変する。
街頭録音では終戦後の一時期はやっていた政府の役人と民衆が街頭で意見を述べ合う番組となっているのだが、「私」は役人の発言、態度に逆上し、興奮のあまりに悔し涙を流し、ラジオを切ってしまう。
<民衆は、ほとんど怒っているような口調で、官僚に食ってかかる。すると官僚は、妙な笑い声を交えながら、実に幼稚な観念語(たとえば、研究中、ごもっとも、そこを何とか、官も民も力を合わせ、それは、それはよく心掛けているつもり、ですから政府は皆さんのご協力を願って…)そんな事ばかり言っている。つまり、官僚は初めから終わりまで一言も何も言っていないのと同じであった。民衆たちは、いよいよ怒り、舌鋒鋭く役人に迫る。民衆のひとりはとうとう泣き声になってしまった>
この録音から六十余年、ラジオはテレビに代わり、街頭録音はワイドショウやテレビ討論などに姿を変えたが、役人や政治家たちのインギン無礼、ああいえばこういう見下した役人文化は脈々と受け継がれ、より巧妙に強固なものになっている。時代の進歩なんかウソである。
さて、怒りのあまりラジオのスイッチを切った主人公の「私」は、次のような空想を始めたのだ。
録音がいよいよ本放送される日、いつもより早く帰宅し、家族全員が緊張してラジオの前に集まる。婦人は小さなお嬢さんをだっこし、中学一年の男の子は正座し、容姿端麗、成績もよく、お父さんを尊敬している。放送開始、予想していたより快調に録音は展開、答弁も大過なし、これで役所でも評判もいいだろう。成功である。家族の顔にも父に対する尊敬の表情がみなぎっている。
家庭の幸福、家庭の平和、人生最高の栄冠、言うこと無しではないか。
役人にああいう態度をさせた根源は何か。そこで「私」はおそろしい結論に行き着くのだ。
いわく「家庭の幸福は諸悪の本」。
小説はここで終わりだ。家庭の幸福こそ人生の最高の栄冠であるはずなのに、諸悪の根源とは何たる暴論。健全な常識に生きるわれわれ市民にとって許しがたいところだ…
ここは一つ、太宰文学解明の文学論が登場しなければならぬ局面だが、悲しいかな私はそんな柄でない。ただ、自分なりの直感的理解を野暮を承知で述べれば、志を達成しようと思う者は、その代償を払わなければならぬということだ。なぜ、その代償が「家庭の幸福」?
それについては次回に愚見を。
2007年12月 6日
●皿を持ち去られた気分
過日、「大分ブランゲ文庫フォーラム」なる催しが別府市中央公民館であるというので覗いてみた。
ブランゲ文庫といっても知っている人は少ないだろうが、日本が戦争に敗れアメリカの占領下にあったとき、日本国内の言論を統制するため集めた出版物の文庫。ブランゲンはその検閲に当たった人物で、文庫はワシントンのメリー大学図書館にある。
検閲は徹底していて、大分県内でも新聞はもちろん、同人誌やミニコミ紙まで対象となり、文庫には県関係の三百七十数紙誌が保存されている。
アメリカというのはずるい国で、表では自由と民主主義のお説教をたれながら、裏ではまったく逆のことをやっていたのだ。
大分県では何をやっていたのか。その実態に少しでも触れたいと思って出かけたのだが、時間の関係もあったのか残念ながらこの日の会合では具体的な話はほとんど出ないままお開きになった。
アメリカの狙いは明らかである。アメリカはいかに正義と人道の国であるか、日本はいかに悪い国であるかを言論統制、情報操作、再教育、憲法の押しつけなどによって日本人を洗脳することである。
検閲はその有力な手段の一つだ。
詳しいことは江藤淳氏の「閉ざされた言語空間‐占領軍の検閲と戦後日本」などという一連の力作に見事に描かれているが、当時の日本人は憐れであった。
日本人を骨抜きにする占領政策がどうのこうのというより、三度の飯をいかに手にするか、それしか関心事はなかった。
その空白をついて、彼らの意図はやがてボディーブローのように効いてきた。
今の日本の現状を見ると、あの洗脳が戦後民主主義として見事に開花しているではないか。
日本が抱えている難問の渕源は実はこの一点にある。
安部前首相が「戦後レジュウム(体制)からの脱却」を提唱したときの集中攻撃を見よ。
この日の集いでも、ブランゲ文庫について解説に当たった文芸評論家の川崎賢子さんの結論めいた言葉にわが耳を疑った。
「だから私は『戦後レジュウムの脱却』などと簡単に言ってほしくないのです」。
ブランゲ文庫そのものが戦後レジュウムのまさに象徴的存在の一つではないのか。まさか文庫が日本の輝かしい出発点であるなどというのではあるまいな。
私が聞き間違ったのではないかと質問をして確認しようと思ったが、東京に帰る飛行機の時間がないと、そそくさといなくなってしまった、皿を途中で持ち去られたような気持ちであった。
