2008年3月27日
●どちらが嬉しいか
このところ、親しい友人、知人が立て続けに世を去っていく。「隣におりしこの友の、にわかにハタと倒れしを…」、「戦友」という軍歌の一節である。この歌を知っている人も今は少数派だろう。
そう、死はハタとやってくるのだ。
在原業平の「ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」という歌は知っていたが、その業平の驚きが、自分にも身近に迫ってきているとは「思はざりしを」である。
「だから、どうすればいいのか」といはれても、この年ではどうするわけにもいかない。
「人生なんて、あっけないものだ」という単純な思いしか浮かばないのだ。
人生のあっけなさをカゲロウにたとえるという死生観は洋の東西を問わないようだ。
例えば、いずれも啓蒙思想家、社会改革者であるベンジャミン・フランクリンと福沢諭吉は、人生はカゲロウだといっている。
だが、その後が違う。
はかない束の間の一生だから、人生は大いに楽しまなくては、というのがフランクリン。福沢は「生涯一点の過失なからんことに心掛けることこそ、人間の誇りとするところ」。
さて、葬儀の弔辞で「あなたは一生を楽しく過ごした人生の達人でした」と述べられるのと、「あなたは人生を懸命に生きた努力と誠意の人でした」とほめられるのと、どっちが嬉しいか。死んでしまえば、どうでもいいことかもしれないが。
2008年3月20日
●酔客のマナー
最近時々顔を出すスナックが近くにある。たいていは居酒屋の飲み仲間といく。
居酒屋が一次会とすればスナックは二次会というわけだ。
一次会で意気投合し盛り上がり、二次会で締めて、お開きというパターンである
なぜ、このスナックを選ぶのか。第一の理由は安いからだ。ボトル一本をキープしておけば、後はほとんどかからない。
第二は若い連中がこないから騒々しくない。七、八人のカウンター席に並んでいるのは老人ばかりである。それがみんなママのほうに向かって静かに飲んでいる。いや、静かというよりインインメツメツたるフンイキだ。
最初この店にいったとき、思わず「何だ、この店は。老人クラブか」と叫んだ。その時,いつせいに私に向けられた客の視線におそろしいほどの敵意を感じた。
ママを囲んで、人生の余燼を静かに書き立てている休息の場に、無礼な闖入者がやってきたのである。酔客の暴言としても許せん。
私は明らかに客たちの空気が読めなかったKYであり、マナー違反者だった。
それがなぜ、その後もこの店にたびたび顔を出すようになったのか、安いとか、若者がいなくて騒々しくないとかの理由のほかに面白かったからである。おいおい報告しよう。
2008年3月13日
●海の男は自衛艦にいなかつたのか
浅黒い精悍な顔、丸太棒のような腕、久し振りにいつた居酒屋のオヤジは以前とは少しも変わらなかった。ただ、幼なかった息子が今はハンサムな大人になり、その嫁さんと三人で店をやっている。
以前オヤジはマグロ船に乗っていたという関係で一般では手に入らないマグロの珍味を時々食
わせてくれていた。
無口でこちらから声をかけない限り黙っているのも昔のままだ。
オヤジが開店して間もないころだから、もう十何年も前のことだろうか。ちようどそのころ、津久見のマグロ延縄漁船が遭難,ニュースになっていた。今度は海上自衛隊のイージス艦とマグロ漁船の衝突事故があったので、昔、マグロ漁船員だったオヤジの感想を聞いてみた。
オヤジはポツンといった。「海上自衛隊員がダメですよ」。やっぱりそうか。
今やマスコミあげて自衛隊叩きに懸命である。見張りや航行のずさんさ、旋回措置の不十分、事故後の連絡の遅延など自衛隊の対応のモタツキ、悪いのは自衛隊だという「自衛隊悪者論」一色である。確かにその通りだろう。
だが、無口なオヤジに口を開かせて、さらに聞いたところ、マスコミなどがいう「自衛隊悪者論」とは少し意味が違っていた。
広い海でも事故はしょっちゅう起こっている。オヤジ自身も操舵を誤り大事故を起こしたこともある。それはそれとして責任を追及されてしかるべきだが、オヤジが言う「自衛隊悪者論」はそれではない。
事故が起きた後、自衛隊員として、いや、海の男として、どのように行動するか、また日ごろから、その覚悟があるのか、それを問うというのである。「事故の直後すぐ、飛び込んで助けに行った隊員がいたのですか」。オヤジが問題にしているのはそれだ。
そこで思い出した。十何年前、オヤジがポツリポツリと語った話である。当時、私はコラムにも書いたが、こんな話だ。
激しいシケの中でマグロの網を巻き上げる作業中、大きなサメが網にかかり、網を握っていた仲間が引きずり込まれ、大波が渦巻く海に姿を消した。
周りの者は助けにいかねばと思ったが、そこは地獄である。自分も相手も助かる保証はない。そんなとき、必ず女房、子供の顔が浮かぶ。一瞬、二瞬、ためらいの時が過ぎる。
その時である。一人の男が命綱を体にまきつけ、その地獄に飛び込み、仲間を抱えて船に上がってきた。船上のみんなは、ガーンと頭をなぐられたような衝撃を受けた。
飛び込んだ男は、日ごろは無口で動作も鈍く、みんなから軽んじられていた。その男が飛び込んだ。信じられないというよりも、本当の海の男とはこうだと、みんな自分を恥じたという。
もちろん、その日からみんなの男を見る目、態度は変わったが、彼自身は少しも以前とは変わらなかったという。
「イージス艦に本当の海の男が何人かいたら、今度の事故を見る国民の目も少しは変わっていたのでしょう」とオヤジの言葉。
2008年3月 6日
●いざ飲まん
長く仕事を一緒にしてきた同僚の狭間久さんがこの春、七十の古希を迎え、新聞社をやめることになり、その記念にコラム集「私の東西南北」を出版した。
東西南北とは 大分合同新聞の一面下の細長いコラム。
このブログも東西南北と称しているが、それは私が現役で新聞社にいたとき、三十年近くにわたって主に書き続けてきたからである。その間、私が社に不在のとき、久さんが代わって書いていてくれていた。
それが千二百本にも上り、その中から百編をえらんだのが今回のコラム集である。
だから久さんとは同じ塹壕にこもって弾を撃ちつづけてきた戦友でもある。強力な助っ人でもある。ある意味では腕を競い合うライバルでもあった。
コラム集を出すに当たって私に「序文を書け」というので読み返してみたが、狙ったところに的確に弾を撃ち当てている腕前はさすがである。
私のケチなライバル意識など吹き飛んでしまう。残念などというのも未練がましいが、とにかく面白い。一読再読をお勧めしたい。
例によっていきつけのスナックに寄ったときのことだ。私はリタイヤする久さんに駄句を一句進呈した。
「いざ飲まんコラム書き終え春の酒」。
それを聞いていたスナックのママが口をはさんだ。
「いざ飲まんーだから酒のことだと分かる。下の句は春の酒ではなく春の夜とか春の宵にしたら」と添削してくれた。まことに最もな指摘。それもそのはず、彼女は子規、虚子などを生んだ伊予松山の育ち、こどものときから俳句になじんでいて、私がかって顔を出していた句会の常連の一人。
コラム集の末尾に書いた「いざ
飲まんコラム書き終え春の宵」の一句は彼女の添削済みのものだ。
