2008年4月25日

●チベットの悲劇

残酷なことをいうようだが、チベットに春は来ない。北京五輪の聖火リレーに対して世界各地では「チベットに自由を」と叫ぶ人たちによる抗議活動が行はれている。だが、やがて世界はチベットを見殺しにするだう。

素人のこんな予想が外れることを、本当は期待したいのだが、世の中は不幸な予感が的中する確率のほうがはるかに高い。
中国の問題となると、途端に思考停止になる福田政権は一応論外としておいておく。だが、人権、人道を表看板にしている欧米も、中国の「チベット問題は国内問題」という強い反撃に会うと腰砕けになってしまった。目先の国益を優先させるからだ。
チベットを国内問題にしてしまえば万事休すだ。
チベットは中国の国内の一部ではない。「世界の屋根」チベット高原に住む信心深き仏教徒のくにである。「宗教はアヘンなり」とする唯物論の共産中国とは根底から相容れない。
その民族、宗教、言語、すべてが異なる隣国を軍隊と血の粛清で征服したのが中国である。
十三億の民と広大な領土を持つ大国が、なぜそれ以上に欲しがるのか。
この疑問について、思い当たる経験をしたことがある。それを報告しよう。
中国がやっと改革開放に乗り出した二十年ほど前の話。親しい仲間と上海周辺を気楽な旅をしたときの話である。
上海から杭州に向かう列車で、日本人のお年寄りグループの観光客と乗り合わせた。その中に若い娘さんが一人いて、私の前の座席に座った。
服装から見ても、しぐさから見ても、お年寄りのお伴をしている日本人とばかり思っていた。これが中国人のガイドである。見事な日本語、杭州大学で日本文学を学んだとのこと。
日本文学といっても専攻は古典?現代文学?と聞くと、彼女は小さな声で「江戸文学です」。「ほう、西鶴ゃ近松をやったわけだね」。「聞かないでください。習ったことは、卒業のとき、みんな学校に返してしまいましたから」とますます消え入るような声で顔を赤らめる。
いまの日本の女性からは消えてしまった恥じらいの表情である。古きよき昭和の面影を見る思いであった。
いろいろとおしゃべりをしているうちに、話がチベットに及んだときだった。
「中国はこんなに大きい国なのに、なぜチベットまで欲しがるのだろう」というこちらの質問に、彼女の顔はちょと悲しげになった。「せっかく苦労してチベットを統一したのですよ。中国が一つの国になるのは中国人の夢なのです」。この切ない中国人の気持ち、分かってくれないのか、といいたげな表情だった。
前世は日本人ではないかと思える彼女にして、版図拡大は中国人の夢と語る。他国征服の欲望を印する漢族の遺伝子は、やはり彼女の血の中に脈々と流れていたのである。
こんな民族の隣国に生まれたチベット人は、ただただ己の悲運を嘆く以外にないのか。
海を隔てているとはいえ、日本にとっても中国は隣国だ。他人事ではない。
 

Posted by ewsn at 18:54

2008年4月18日

●おーい、早く来いよ、食糧危機

 忍び寄る資源の枯渇と食糧危機、自給率三九%の日本は座して死を待つほかに道はないのか。いやいや、そうではない。いまこそチヤンス到来である。古きよき昭和の御世がよみがえってくるかもしれないのだ。

 老人医療がどうの、ガソリン価格がどうのと、まるで日本人の生き死ににかかわるように大騒ぎしていたことがウソのように消えていく。

 まして「賞味期限」や「産地偽装」が日本人の食生活を脅かしていたと思い込んでいたことなど、どこか遠い遠い国の話し。バカらしくなってくる。

 食糧危機こそが、いまの日本が抱えている難問を一挙に解決してくれる。

 早い話、医療問題一つとってみても、元をただせば食生活が根源にある。一説によると、日本人の体質はエネルギー効率のいい遺伝子を持っていて、貧しい食生活、食習慣の中で少しのエネルギーで体を働かせ、長寿を維持できる体質になっている。

 国民みんなが飢餓線上をウロウロしていた終戦後を思い出そう。腹は減っていたが、いまのように医療費を押し上げている高血圧だの、糖尿病、メタボリック症候群などと騒ぎ立てる成人病はなかった。
いまは食いたい放題に食い散らし、痩せるために難行苦行のダイエットで汗水を流すかと思えば、テレビでは大食い女がタレントになってバカ面をさらしている。

 一汁一菜、腹八分目、この伝統的な食生活で健康を保ってきた日本人が、何が悲しくて、こんな真似をしなくてはならぬのか。

 主食はイモや雑穀いりの飯、おかずは野菜と小魚、かっての昭和の食卓を家族で囲む食事風景。そこにはバカ面さげた大食いタレントの入り込む余地はない。

 おーい、早く来いよ、食糧危機。


Posted by ewsn at 17:22

2008年4月11日

●怒れる老人、風の旅へ

高校の先輩kさんから来信、「風になる覚悟はできた」とのこと。十年前に前立腺ガンを宣告され、いろいろと療法を試みたが、最近ガンセンターで再検査、結果は「左大腿骨付け根に転移」。「全治の療法はありません。こんごはいかに症状を和らげるか」「頑張ってください」といわれた。
家族に報告し、宇宙の風になるべく身辺の整理を始めた。まずは「捨てる」ことから。良寛さんの真似をして蔵書、写真、日記、下手な短編創作の類。奥さんは「そんなに慌てなくとも」という。

終戦のときKさんは高校の十六歳の文科生。昔の高校は普通は旧制の中学五年を卒業して入っていた。十七か十八歳。彼は飛び級かなにかで十四か 十五歳で入っている。秀才だったのだろう。
「五歳で神童、十五で才子、二十歳過ぎればタダの人」のクチだったのか、それともノンビリしすぎたのか、高校は五、六年かけて卒業している。同級生、後輩たちが倍以上いるから名物男だった。われわれ後輩たちともよく付き合ってくれた。
一度会えば、どこか惹きつけられる不思議な一面を持っていた。
ひょんなことから川端康成の知遇を得て、川端が自殺したとき、家族からの一報で真っ先に駆けつけるほどの間柄になっていた。いかにもKさんらしい話である。もちろん、こんな話は世間にはあまり知られていないので、大分合同新聞が出していた月刊誌に書いてもらったことがある。好評だった。
 Kさんはサラリーマン引退後、埼玉の鶴ヶ島市に住んでいる。
最近はパソコンで打ってコピーした「市民ジャーナル」と称する紙片を周辺に配って、本人の言によれば「ガン持ち八十の老生のいらだち」を発散させているようだ。
Kさんの言いたいことは・・・・
戦後六十有余年、「自虐史観」による戦後民主主義教育で育てられた少年少女が、これからの年寄りの主役になろうとしている。子どもたちを鍛えることを忘れ「話の分かる年寄り」を演じた挙句、危険に満ちた社会と膨大な借金を子どもに残すことになる。特に昭和一ケタ世代の、そんな現状に対する鈍感さが怖い。
そこで提言ーというわけだ。
市長、市会議員、市職員、教師に、わが鶴ヶ島の郷土史の研修を必修させよ。子どもは今どんな教科書を使っているのか、みんな読め。市独自で教科書を
選定せよ。「学の独立」だ。
教育委員会や校長の決めたことを(国旗の掲揚や国歌の斉唱)を拒否しヒンシュクを買うような教師は、わが鶴ヶ島にはいらぬ、他国に追放せよ。
たらい回しをしない必ず即応する病院都市を創ろう。そのための市民を含めたプロジェクトチームを。要は拙速。すぐかかれ。コロンブスの例えもあるぞ。ダメでもともと。
まあ、なんとも過激な提案だが、風になるための旅支度も一方ではせねばならず。これではおいそれと御迎いに行くわけには行かないのではないのか。

Posted by ewsn at 18:21

2008年4月 3日

●怒れる老人、役人に天誅を

近くに住むYから電話。彼とは社は違うが、かっての同業の新聞記者、今は同じ年金生活者。時々あって酒を飲む。
飲めば必ず酔う。あるときは陽気にバカ笑いをし、あるときは世を憂い悲憤慷慨し、あるときは卑猥なる言辞を弄して周囲の顰蹙を買い、あるときはカラオケのマイクをにぎって騒音をまきちらし・・・。年甲斐もなくジイさまたちが醜態をさらしてと嫌われるが、これみな酒のなせること。酔わぬときはいったて温厚な老紳士である。敬老精神に免じて「酒の上のこと」とお許しあれ。

だが、この日のYの電話の口調は、シラフなのに激昂している。
例の後期高齢者医療制度についてである。
この日Yのところにいきなり「あなたの保険料を増額、年金から天引きする」と通知が来たというのだ。
そんなのは分かりきったことではないか。この国の政治も行政も、人間とは全く異なった頭脳構造や皮膚感覚を持った役人という特殊な異生物にまかせきっていると、こうなるのである。
人間が嘆こうが、泣こうが、そんなことはお構いなし。政治家なら選挙があるから、同じ人間をあまり泣かせたくはない。役人は人間ではないし、選挙もない。どんなことでもできる。政治家はそんな役人に使われているに過ぎない。
Yも私も、恥ずかしながら新聞記者の端くれをやってきたから、役人のそんな一面を多少覗いてきた。役人に勝手放題をやらせていると、この国はどうなるか、感ずいていたはずだが、わが身のこととは思っていなかっただけである。
「ついに行く道とはかねて聞きしかど」、保険料値上げと天引きのいっぺんの通知を受け取って初めて、「きのうきょうとは思はざりしを」という在原業平の驚きを実感したという次第である。Yがあまりにも怒るので「その件については、じっくり論議しよう」ということで電話を切った。
会えば酒である。政権を罵倒し、役人社会に天誅を加えることになるだろう。

Posted by ewsn at 19:34