2008年6月26日

● 五尺の命ひっさげて

 夕方、例の居酒屋の洋子ちゃんから電話、「Aさんが店で待っている。いっしょに飲みたいそうです」。  
 Aさんは女性、といっても昭和四年生まれの八十歳、彼女は年齢を数え年で言う。最近、この近くの温泉付きのマンションに娘さんと二人で移り住んできた。ちょくちょくこの店にも顔を出し、独り酒を楽しんでいる。結構なご身分とお見受けする。

あるとき、彼女は戦時中に学徒動員で小倉の軍需工場に駆り出されていたとき、、いつも歌ってていたという思い出の歌を披露した。
 「五尺の命ひっさげて、国の大事に殉ずるは、われら学徒の面目ぞ、ああ、 紅の血は燃ゆる」。 
 彼女より一つ年下の知私たちも、これを歌っていたので知っている。彼女に和して歌って見せた。 
 この店にはカラオケもマイクもないので、本当なら浅酌低吟で、老人の静かなハミングでいきたいところ。それが私の蛮声が加わることによって、周りの客たちは、「なんじゃい、この歌は」とケゲンな顔で見ていた。
 ただ、Aさんだけは六十何年ぶりに歌ったことにすっかり若返り、「また歌いましょう」と店の洋子ちゃんを通じて、この夜のお誘いがかかったという次第である。
 歌詞にある「五尺の命」といえば1メートル51センチ、当時の少年少女の平均的な身長、その小さな体で戦争協力に駆り立てられていった。 本当は悲しい歌である。この歌で戦意が高揚したかどうかはともかくとして、一つだけはっきりしてることがある。 
 それは自分たちは国に命運と共にあるという実感を五尺の小さな体に刻み込んでいたことである。国というものと真正面から向き合っていたといってもいい。 
 いまの少年少女はどうか。体は五尺どころか六尺豊かになったが、国の命運と自分たちがどう係わっているのか、そんな気持ちが心の片隅でもいい、どこかにもっている少年少女が何人いるのだろうか。
 じいさん、ばあさんの中には、そんなことを時々思い浮かべながら酒を飲んだり、歌ったりしている人がいるのである。

Posted by ewsn at 19:25

2008年6月20日

●ここだけの話、人には言うな。

Mさんが離婚したのは二年ほど前である。離婚は彼の口から直接聞いた。
 Mさんも私が行く居酒屋の常連である。その夜、彼は「人のは黙っていて欲しい、ここだけの話だが、オレは離婚した。子どもも大人になっているので、家はかないにやってオレが家を出てきた」と話した。

熟年離婚は世間ではよく聞く話だが、身近にそうザラにあることではない。
 原因はMさんに若い恋人ができたことである。そのウワサは常連たちはみんな知っていたが、離婚となるとタダゴトではない。当然、常連たちにとってはホットニュース、これをサカナに酒の一、二杯は大いに進むところ。 
 こちらもニュースの話題提供者として座を盛り上げたくてウズウズしていたが、ご本人から「ここだけの話、だれにもいうな」と釘をさされているのでグッと辛抱していた。私は口が堅いのですよ。
 ところがそれから数日後、同じ店の少し離れたところでMさんたち数人が飲んでいた。
 そこからMさんの声が聞こえてくる。「ここだけの話だが、人には言うな。実は‥」。
 田辺聖子さんの小説に「ここだけの話」というがある。田辺さんの解説によると「ここだけの話よ」という真意は、人にしゃべるな、ということではなく、人に話すときは必ず「ここだけの話よ」と前置きしてしゃべってくれ、ということだ。
 そうすれば、聞いた人も必ず「ここだけの話」と前置きして他人に伝え、ウワサはたちまちにして広がる。
 そうだったのか。私はMさんから「ここだけの話」といわれ、バカ正直にそれを守っていた結果、Mさんの期待を裏切ってしまっていたのだ。ウワサはあまり広がらず、Mさんには何回も「ここだけの話」の努力を強いることになってしまた。スミマセンでした。
 やがてMさんは新しい彼女を店につれてくるようにたった。彼女は遠く離れた地にまだ自分の仕事を持っているので、月に一、二度の通い妻。まるで新婚ホヤホヤの若いカップルのような雰囲気である。 ウワサを広めてもらいたっかたわけがわっかた。 
 数日前のことである。Mさんが勤め先の会社の人と飲に来ていた。席が近くだったので話が聞こえる。
 「ここだけの話だ。まだ黙っていて欲しい。実は‥」。
 おや、また新しい恋人ができたのかと思ったら、定年まじかなMさんに再就職の誘いがかかってきているようだ。
 これも悪い話ではない。

Posted by ewsn at 17:55

2008年6月12日

●失敬、失敬  

サラリーマン作家のハシリといわれた土岐雄三の小説を読んでいたら「細君」という言葉がさかんに出てくる。昭和五十二年の作品である。当時はまだ日常的に使っていたのだろうが、いまではすっかり死語になっている。
 自分の女房には使わないが、他人の女房を言うときは「細君」である。戦前昭和の匂いのする言葉だ。

消え去った言葉を懐かしむ、というのも年をとった証拠だろうが、言語研究家の稲垣吉彦さんが書いてる「死語事情」の中で、おや、こんなのも死語になっているのか、というのもある。いくつか拾ってみると、普請、散財、奇態、丹精、因果、不憫、魂胆、面妖、才覚、悪態、畢竟‥‥.
 これらの言葉は年寄りにとっては、今でも身近に使っているのだろうが、何十年か前は大人がごく普通に使っていた言葉で、いまは全くの死語となった一つに「失敬」がある。
 人を待たせたりしたときは、「やあ、失敬失敬」、一杯やった翌日顔を会わせると、「昨夜は失敬」、別れる時は「じゃ、失敬」。気に食わん男には「失敬なやつだ」。他人のものを無断拝借した時は「ちょっと失敬してきた」。  
 「どうもどうも」よりもメリハリがあり、骨格がしっかりしている。フヤケタ日本語をただすためにも「失敬」を死語から甦らせてはどうか。
 

Posted by ewsn at 19:34

2008年6月 6日

●陰膳食わぬはオヤジの恥

 日本に来て永年、布教に当たっていたアメリカ人のカトリック神父に会ったことがある。もうかれこれ二十年も前の話である。

戦後間もなく来日した神父が最も印象を受けた一つのことがある。それは陰膳という習慣だ。若い人にとっては死語だろう。「陰膳?まだ食べたことがない」という若いパパもいるはずだ。「据え膳食わぬは男の恥」というから据え膳なら食ったことがあるかもしれない。 
 若い人のために辞書を引くと「陰膳=離れている人の無事を祈って、留守宅の人がその人のために備える食事」。
 別に遠く離れていなくとも、父親の帰宅が遅くなったりしたとき、まず父親の茶碗に飯をよそって、それから家族が食事をする。神父が来日したころは日常的に目にしてきた陰膳である。母親は陰膳を通して、父親が一家の柱であることを無言のうちに教えていたのである。神父はその光景に感動したのだ。「これだから日本は復興したのだ」と。
 子どもたちが聞いても、母親は「お父さんだからよ」というだけでいい。この一語のなかに父親に対する家族の万感の思いがこめられている。
 あれから何十年、神父は日本の家庭で陰膳を見ることはほとんどなくなった。男女平等、子どもの権利、民主主義、これらは戦後民主主義教育の輝かしい成果である。「お父さんだからよ」では通用しない。
 「陰膳が姿を消して日本の家庭は、日本はおかしくなりました」とアメリカ人の神父は断定した。神父は日本に絶望して間もなく帰国したと聞いた。神父さんでも絶望するのだろうか。

Posted by ewsn at 12:10