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2006年3月 1日

台湾「霧社事件」①

日本統治時代に台湾で起こった最大の抗日武装蜂起
「霧社事件」をまとめてみました。
私が生後6か月で台湾に渡る前年のことでした。

昭和5年(1930年)10月27日、台湾中央の山地、
台中州能高郡霧社地区(現南投県仁愛郷霧社)霧社公学校校庭。
この日は霧社地区の総合運動会で、校庭には日本人を初め原住民
(当時高砂族と呼称)、それに漢民族系の住民(当時本島人と呼称)など
の学童、父兄数百人が集まっていた。
能高郡の郡長を初め台湾総督府の官憲も来賓として臨席していた。

午前8時5分、出席者一同の国歌「君が代」斉唱のためオルガンの
演奏が始まった。
そのとき、これを合図のように周囲で銃声が起こり、槍や刀を振るった
原住民が、形相すさまじく校庭になだれ込んできた。
原住民の蜂起である。
華やかな運動会場は一転、流血の場と化した。驚いて逃げ惑う群衆の
なか、きらめく刀のもと次々と日本人が殺されていった。大人も子供も…。
「霧社事件」の発生である。

蜂起部隊は「日本人は子供も見逃すな」「ブヌカンは殺すな」の叫びを
あげながら殺戮を続けた。
「ブヌカン」とは漢民族系の住民、本島人のことである。
この蜂起は徹底して日本人だけをターゲットにしたものだった。

阿鼻叫喚の一時間が過ぎた。校庭は死屍累々。
ところどころでかすかなうめき声。興奮した蜂起部隊のあげる奇声が、
その上にかぶさる。
教室のなかにも死体が積み重なっている。
日本人134人が殺された。能高郡長も警察官もほとんど殺された。
漢民族系の住民2人が殺されたが、これは流れ弾に当たった成人と、
日本の着物を着ていて誤殺された幼児。
徹底した日本人選別殺戮だった。

蜂起は勇敢さで知られるロードフ社、ホーゴー社、スーク社、ボアルン社、
タロワン社、マへボ社の6集落(社)。リーダーはマへボ社の
モーナ・ルーダオ(当時推定48歳)。

蜂起は前夜から始まっていた。
地区内に点在する警察官は派出所を襲撃し、警察官を殺害し武器を奪って
電話線を切断したため、蜂起の情報が伝わらなかった。みごとな作戦である。

この蜂起の報は総督府を「信じられない」と震撼させ、台湾だけでなく
日本全土に衝撃が走った。各県の地方新聞もトップで報じた。
大分合同新聞(当時豊洲新報)も一面トップで報じた。
当時は日清戦争による台湾の割譲から35年が過ぎ、漢民族系の抵抗も
原住民の反抗も完全に終息し、安定した植民地統治が始まっていた。

とくに霧社地区は原住民対策(理蕃対策)のモデル地区といわれ、
227人もの日本人が住んでいた。
「霧社桜」の名所として知られるようにもなっていた。

この地区に大規模な反乱蜂起が起こり、百人を超える日本人が殺された
というのだから、信じられないのは当然であろう。 (つづく)




投稿者 takaakira : 2006年3月 1日 13:17

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