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2006年03月12日
台湾228事件(1)
台湾では2月28日は、終戦後台湾に進駐した国民党政府軍の
暴政に対抗して台湾人が蜂起した「228事件」の記念日である。
この暴動鎮圧後から、国民党政府は台湾のインテリを中心に多くの
台湾人を虐殺し「白色テロ」として、台湾人を恐怖のなかに陥れた。
陳政権は先月のこの日にこの事件の総括を発表して、事件の
責任者は蒋介石総統であると断じて注目されている。
またこの日に「228事件」についての次の2つの本が刊行された。
漫画・ニニ八事件(阮美妹・張瑞廷著)
台湾 ニニ八事件の真実 消えた父を探して(阮美妹著)
いずれもこの「白色テロ」の残虐な実態を生々しく描いている。
事件からことしは59年に当たる。
改めて「228事件」を振り返ってみた。
日本軍と戦った台湾人
夕べに遠く 木の葉散る
並木の道を ほろぼろと
君が幌馬車 見送りし
去年の別離 永久よ
これは山田としを作詞、原野為二作曲「幌馬車の歌」の一節。
昭和の初期の流行歌で、ミスコロムビアの松原操らが歌っているが、
それほどには流行らなかった。
ところが、この歌に送られて刑場の露と消えた台湾人がいる。
台湾北部の港町基隆市の基隆中学校(高校)の鐘東洪・校長で、
1950年10月14日のことだった。
鐘校長は台湾南部の屏東市の人で、日本時代の台北高校(旧制)
を中退して明治大学に学んだが、日中戦争が始まると「祖国」を
日本帝国主義の侵略から救いたいとの「祖国愛」に燃えて大陸に渡り、
国民党の抗日戦争に参加した。
台湾が解放された翌年の1946年に台湾に帰り、31歳の若さで
基隆中学校の校長になった。大陸で戦って台湾に帰った台湾人は
優遇されたのである。
その翌年1947年に「228事件」が起こった。
台湾の解放により大陸から進駐してきた国民党政府の暴虐圧制に
抵抗して、台湾全土で大規模な暴動が起こり、大陸から派遣された
制圧軍によって一ヶ月ほどで暴動は鎮圧された。
多くの台湾人が逮捕、公開処刑された。
「幌馬車の歌」で刑場へ
この事件を契機として、国民党政府は治安を維持するため、その後も
台湾人に対して大規模で理不尽な逮捕、処刑を行い、鐘校長も
このなかで逮捕された。家族全員も逮捕された。
台湾民主化の運動をしたことが逮捕の理由だった。
取り調べで当局から節を曲げることを強要され、これを拒否したために
死刑となった。
処刑場に行くときに鐘校長は、同房の仲間にこの「幌馬車の歌」を
歌ってくれるように依頼し、その合唱のなかを堂々と刑場に向かったという。
以来、台湾で治安容疑で処刑されるときには、同房のものがこの歌を
歌って送ったという。
「228事件」をテーマに台湾で制作され、ベネチュアの国債映画祭で
グランプリを受賞した侯孝賢・監督の名画「非情城市」に、処刑のときに
この歌が歌われるシーンがある。
暗いメロディーから当時の台湾の人々の心情がひしひしと迫ってくる。
ただし、現在わが国で販売されているこの歌のCD(歌手・青木洸一)
では、この歌をハイキーで歌っているため、明るすぎて歌のムードが
まったく違う。
鐘校長と「幌馬車の歌」については、田村志津枝著「非情城市の人々と
台湾と日本の歌」に詳しい。一読をお勧めする。 (つづく)
投稿者 takaakira : 2006年03月12日 15:07
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