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2006年03月13日

台湾228事件(3)

もの言えば命危なし

国民党政府は台湾の「228事件」発生に対して、戒厳令を発令した。
これによって軍部が司法と行政の権限を掌握することになり、これにより
台湾人の思想を弾圧し虐殺することを「合法化」したのである。
この恐怖政治の弾圧下にあって、台湾では政府を批判したり、台湾独立を
言ったりすると、逮捕、処刑につながる時代が蒋介石、経国の親子二代の
総統時代にわたって続いた。

「2・28事件」は禁句となっていった。言論も窮屈になっていった。
「もの言えば唇寒し」よりさらにひどく「もの言えば命惜しし」となり、
台湾の人々は、沈黙するしかなかった。
その分のエネルギーを経済の方に注いだことが、現在の台湾経済の発展
の基礎になった、という皮肉な見方もある。

しかし台湾人として、完全に沈黙するわけにはいかない。
弾圧下にあっても、民主化を求める動きは命を賭して、多くの犠牲を払いながら
続けられ、蒋経国総統が死去する半年前の1987年7月に、弾圧政治の基盤
である戒厳令を解除しなければならなくなった。
「2・28事件」で発令されて以来、実に38年という世界最長の戒厳令だった。

そして1988年1月、蒋経国総統の死去によって李登輝・副総統が総統に
昇格した。
念願の「台湾人の総統」の誕生であるが、当初はそれほどには期待されなかった。
「李登輝とはなにものぞ」と、世界が問うている、とさえ言われた。
無名の総統だったのだ。
台湾の人々も「我らが台湾人の総統が生まれたことは嬉しいが、無名の人に
なにができる。国民党の操人形になるだけだろう」と゜いう醒めた見方が多かった。
                                         (つづく)


投稿者 takaakira : 2006年03月13日 16:12

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