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2007年10月31日

「軍服組」のヒゲに警戒

ちょっと気になることが…。
こんどの守屋問題なついて、あの「ヒゲの隊長」がコメントしていた。
イラク派遣の第一陣を率いたあの「連隊長」である。
いつの間にか、国会議員になっていた。
自衛隊OBである。

彼が防衛庁の「制服組」であることが、気になるのである。
本来「制服組」はわが国で唯一「武器」をもつ組織である。
「軍隊」なのである。
「制服組」なんていうから、印象がソフトになる。
「軍服組」といった方が、実体を正確にあらわすことになる。

その「軍服組」からの政界に対するコメント、発言とみればことは重大である。
たとえ「OB」でも、その重要性はかわらない。
これを契機に、これから「軍服組」が政治に対して発言を始めることを
私は恐れる。

「軍隊」なるものが、政治にかかわるとロクなことはない。
だからわが国では自衛隊を「文民統制」のもとにおいているのである。
これを乱してはいけない。
国会議員になった一OBの発言と、軽く扱ってはならない。
こんどの発言が「アリの一穴」とならないよう、厳しく対処すべきである。

投稿者 takaakira : 10:02 | コメント (0)

守屋さんの気持ちを訊きたい

防衛省元次官の守屋さんに対する武器商社・山田洋行の接待には驚いた。
ゴルフが200回以上、それも夫婦で。ゴルフセットも2回プレゼント。海外旅行も。
まさに「接待浸け」である。
さらにこのことを、国会の証人喚問で守屋さんがあっさり認めたことも驚きである。
接待の席に防衛庁のトップが加わっていたことまで、サービスしてくれた。
おかげで、政界は防衛庁長官経験者をめぐってヒソヒソ、戦々恐々。
結構な話題提供をしてくれた守屋さん。

ところがこんな頻繁な接待を受けながら、偽名まで使って「規制」くぐりしてまで
付き合いながら、守屋さんはこの商社に対して一度も「便宜」を図ったことがないという。
証人尋問で守屋さんは、そう証言した。
商社側からも便宜を求められたことはないともいう。
これも驚きである。

「ギブアンドテイク」が常識の政界にあって、この無償行為の「クリーン」な接待は、
一陣の風のようにさわやかでさえある。
政界にも、またそれと関連が深い商社の間でも、こんなきれいな関係があるのだ。
国会証言ではウソはつけない。だから守屋さんの証言はホントウである。
そうなると、これは表彰ものである。

だがちょっと待てくださいよ、なにかがオカシイ。
お役所をめぐって厳しい競争にある武器商社が、
なんの見返りを求めずに、お役人を接待するものなのか。
さらに、なんの見返りを与えずに200回もゴルフの接待を受けることが、
常識人として、いや人間としてできるものなのか。

いわゆる「やらずぶったくり」で一方的に「ただゴルフ」を楽しんだわけだが、
このとき守屋さんは、どんな思いだったのか。
どんな気持ちでコースを回ったのか。
一方的な接待を「重荷」とは感じなかったのか。
商社になんの見返りもしないことを、負い目に感じなかったのか。
ここのところを、守屋さんにお訊きしたい。

守屋さんが「なにも感じない」となれば、
これはまさに珍しいホモサピエンスの出現である。
人の恩を感じないままどっぷり接待浸けで、
お役人のトップである「次官」にまで上り詰めた珍しい「ヒト」である、守屋さんは。
こんな特別な性格の守屋さんは、まさに性格分析に値するだろう。
国会よりも「精神科」での分析が必要であろう。
そして、この精神分析の結果をを論文として発表することを期待する。

野党の議員さんが、守屋さんがあまりにもあっさりと接待を「認めた」ため、
力んだ足がタタラを踏んで、次への質問ができなかったのだろう。
惜しかったね。もう次はないのかも…。

投稿者 takaakira : 09:00 | コメント (0)

2007年10月30日

別府の強烈な思い出

大分合同新聞の夕刊で、昔懐かしい「別府」の連載記事が始まった。
私も昭和35年から10年ほど、別府に通い詰めたことがある。
まったくの下戸であるのに、なぜか別府が好きで仕事が終わると、
毎晩タクシーを飛ばして別府に行っていた。別府から出勤したこともある。
コーラを飲みながらのバーめぐりである。
一人で行くことが多く、私の「別府がよい」は、職場でも「公認?」だった。
当時はまさに全盛期の別府。いろいろな思い出がある。

昭和41年の大分国体が終わった年の冬の初めのころ。
飲み屋を「はしご」の末、流れ川通りから南へ入った路地にある、
ちょっとしたバーに入った。
私の行きつけのバーで、テーブルが3卓にカウンターが7席という、
ごく普通のバーである。悪女の雰囲気の妖艶なマダムで流行っていた。
深夜の零時を過ぎていて、お客はカウンターに5、6人で、店じまいの雰囲気だった。

カウンターについてコーラを飲んでいたら、外出していた店の女の子が走りこんできて
「お客さんがヘンなの。なんとかして」とマダムにすがりついた。
聞くと、この客とマダムがウィスキーの「一気飲み」競争をして、
マダムは半分でギブアップしたが、客のほうは角ビン一本を完全に空けて勝った。
その後みんなで気炎を上げて飲んでいるうちに、客が気分が悪いというので、
一時間ほど前、くだんの女の子のアパートの部屋で休ませていた。
客は彼女の恋人なんである。

一時間ほどして気になるので彼女が部屋に帰って見たら、お客さんが吐いていて、
顔が真っ青になって、大きないびきをかいている、ゆすっても起きてくれないという。
これは「一気飲み」による急性アルコール中毒の恐れがある。
世話好きの私は、急いでこの女の子を連れて部屋に駆けつけた。

お客は口の周りに吐しゃ物をつけて、顔を上向きにしていびきをかいていた。
顔色は土気色だった。体は冷たかった。
女の子に吐しゃ物をぬぐわせて、客の顔を横向きにした。
顔が上に向いていると、吐しゃ物が、口に入って気管をふさいで窒息の恐れがある。
そして私が近くのU病院に駆けつけて救急の往診を頼んだ。
この頃にはマダムも、数人の客(野次馬?)を連れて部屋にやってきた。

私の案内でやってきた若い医師は、診察をして簡単な治療をして、
私に「角ビンの一気飲みは危険です。血液中の毒素を肝臓がどれだけ
分解できるか。それまでに心臓の機能がもつだろうか、非常に危険な状態にある」
と告げた。
そうではないかとは思っていたが、専門家に告げられるとショックである。
酸素吸入がよいが、ケイタイのボンベがないのでということだった。
知り合いの国立病院の麻酔専門医を電話で起こして「ケイタイ酸素ボンベ」を
頼んだが、期待に添えないという。

万策尽きて、客を見つめるしかなかった。
マダムは一気飲みの「酔い」が出て「オトコはしゃんとせんかい。このくらいの酒で」
といきまくだけ。
野次馬の客も、事故に巻き込まれるのを恐れたのか、一人帰り二人帰りで
ひとりもいなくなった。同僚の女の子も帰ってしまった。
残るは酔いつぶれたマダムと、私と客の女の子だけ。

まんじりともせず、はらはらしながら客の顔を見つめていた。
女の子は、ときどき客の頬を軽く叩きながら、涙声で名前を呼んでいた。
深夜も3時を過ぎるとさすがに静かになる。
不安を抱えての三人の姿を、ふとあの織田作之助の世界に見るような気がした。
うとうとしていたら、女の子が「あれっ息が止まっちょんよっ」と叫んだ。
見るとまさに呼吸停止、まったく動かない。

客の胸にまたがって固めた拳で、心臓の部分に強い圧迫をくり返し加える。
心臓マッサージである。知識としては知っていたが、実行するのは初めて。
まったく反応がない。緊急事態である。
女の子に心臓マッサージの方法を教えて、私は直ちにU病院に走った。
おっとり刀で駆けつけた医師が、取り出したのは長さが10cmもある
長い針がついた注射器。

客の胸にまたがって、この針をずぶりと突き刺し、薬剤を一気に注入した。
心臓に直接針を刺すカンフル注射である。強心剤である。
だが、私には「最後の止め」のようにみ見えた。一瞬、医師が悪魔に見えた。
ところが奇跡が起こった。
呼吸をがとまっていた客がもぞもぞと動き出し、大きく息を吐き出したのである。
ややっ、助かるぞっ!
と期待したが、それっきり再び動くことはなかった。

医師も「ご臨終です」といい「これで事故死の扱いにはならない」と付け加えた。
死亡している患者を診た医師は「事故死」としての届け出をしなければならないが、
この客の場合、医師によるカンフル注射で一度とはいえ、とにかく呼吸をしたのだから
医師が見たときは「生きていた」と解釈が出来る。
ということで「事故死」となることなく、警察に届けることもなくなった。

これを聞いて、私は拍子抜けがした。
事故死で警察とのやり取りを期待していたわけではないが、
私にはそれを避ける気持ちはなかった。
人生経験で、そこまでを期待していたのかもしれない。
それに、人間の死をこんなに簡単に「事故死」でないと、決定してももよいものか
という疑問も残った。

いつの間にか酔っ払ったマダムはいなくなり、
私は泣きじゃくっている女の子を見つめているだけだった。
それから後のことは、いまでは思い出せない。
当時は救急車はなかったのかという疑問は残る。
後で聞いたら、酔っ払って消えた?マダムが、すべてを始末したそうだ。

強烈な別府の思い出である。
今ではマダムも亡くなり、あのバーもなくなり、「別府」もなくなってしまった。

投稿者 takaakira : 10:52 | コメント (0)

2007年10月26日

亀田家の勝ち!!・お詫び記者会見

昨25日に続いて今朝、ボクシングの「亀田問題」の記者会見があった。
出席は協栄ジムの金平会長と亀田家の長男・興毅選手の二名。
こんな亀田兄弟に育て上げて、
今回の騒動の責任者でもある父親・史郎氏の姿はなかった。
開始から1時間ほどテレビで見た記者会見に対する私の結論は、

   !! 亀田家の勝ち!!

最大の問題であるリング上の次男・亀田大毅選手に、父親の史郎氏と
兄の興毅選手が反則を「指示」したかについて昨日から、
亀田側は、このことについては「弁解」はしない、という姿勢を示していた。
最初の記者会見で父親の史郎氏は「指示したことはない」と断言していたのに。

そこで記者会見で当然この点が追及され、「弁解しないといういうことは、
指示をしたことを認めることなのか」と回答を求められた。
これに対して興毅選手は「弁解しない」の一点張りで、指示したことを「認める」
とは、ついにいわなかった。
みなさんが「指示をしたというなら、それに対して弁解はしません」というが、
「指示をしたことを認める」とはいわなかったのだ。
試合の実況放送のテレビで、この「指示」ははっきりと録音されているのに、
興毅選手は指示したことを「認める」ことなく「弁解せず」で乗り切ったのである。

こんな明白なことを、記者会見でマスコミが明白にできなかったことは、
じつに情けない。
「弁解しないことは指示をしたことを認めたことである」との回答を得られないまま
興毅選手に「弁解せず」で押し切られた、あるいは逃げられたマスコミ。
なぜ「指示を認めるかどうか」を具体的に明確にしない限り、
記者会見を続けることは出来ないといえなかったのか。
兼平会長の「弁解しないことは指示したことを認めたものと私は理解する」の発言で
キリがついたような感となった。
ネタ欲しさのマスコミ根性が、思い切ったことをできなくしているのか。

こうなればもうしめたもの。亀田側が盛り返した。
とくに興毅選手が「おれらをここまで育ててくれた親父は世界一や。
これからチャンピオンを取ってこの父を喜ばせたい。
世間が悪く言っても親父は父親じゃ」と、カメラに向かっていったとき、
目はウルウルで、お涙期待のシャッターがすさまじい爆発音だった。

そこには試合の不正問題なんかは吹き飛んで、
いまの子供が忘れている父親に対する尊敬の姿があった。
世間の親たちがあこがれている「親子像」である。
シャッターの爆発は2回あった。
これで、私は亀田一家の復帰は成ったと思った。

そのほか、練習場を協栄ジムとするなどいろいろ言っていたが、
私はこんなことは、結局はウヤムヤになってしまうものと思っている。

それよりなにより、この記者会見を見ながら思った。
こんな調子では、亀田兄弟が「復帰戦」をするとなると、ものすごい注目率で
40%以上の視聴率が期待できると。
この記者会見が、まさにそのための宣伝となったのだから。
お詫び会見が、復帰戦の宣伝の場となったのだ。
やはり「亀田の勝ち」である。


投稿者 takaakira : 11:23 | コメント (0)

2007年10月23日

武士は食わねど高楊枝

21日、来年3月の総統選挙を目指して運動中の台湾国民党の馬英九氏が、
南部の高雄市で演説し、直行便の実現により台湾経済に、
年間2100億円(日本円)の効果が期待できるとして、
中台間の「直行便」の実現を強く主張した。

台湾と中国との経済関係は、すでに切っても切れない緊密な関係にある。
台湾から10万の企業が進出し、100万人の台湾人が大陸で暮らして、
600万の台湾人が大陸を往来している。
中国の輸出企業のトップ3を台湾企業が占めている。
それでも、現在は台湾と中国の間に、船や航空機の直行便がないため、
その発展がいま一歩というところにある。
香港経由などでは輸送コストが重い。

ところが台湾人の民進党の陳政権は、この「直行便」を認めていない。
直行便により、大陸からの「人的進入」を危惧しているのだ。
とくに治安問題が重要。「革命、動乱の輸入」なんていうものもいる。
さらに直行便を受け持つ中国の航空会社が「国内線」の会社となったら、
台湾は中国の一部「国内」となってしまうことも問題。
といって「国際線」の航空会社を使うと、中国が台湾を「外国」とみなしたことになる。
直行便問題は実害もあるが「面子・プライド」の問題も大きい。

これに対して、今回の馬英九氏の演説は「経済を発展をさせてこそプライドを
語る余裕が生まれる」と「名より実をとる」ことを主張している。
このことが、台湾のこんどの総統選挙の最大の争点である。
台湾人がいずれを選ぶか…。
現政権は「武士は食わねど高楊枝」の方のようだが。
投票日には現地に出かけるつもりである。


投稿者 takaakira : 12:35 | コメント (0)

江戸時代の赤福

(賞味期限)
 すべての品質が十分に保持しうると認められた期限。
  比較的いたみにくい食品に表示される。
  期限が過ぎても即危険とはならない。
  例 スナック菓子、缶詰、ジュース、マーガリンなど。

(消費期限)
  腐敗などの衛生上の危害が発生する恐れがないと認められる期限。
  5日以内に悪くなるものに表示される。
  要するに「腐らない期間」のこと。
  例 弁当、調理パン、生めんなど。

問題の「赤福」は当然「消費期限」。
製造後5日を過ぎると販売できない。
「売れ残り」は当然「廃棄」しなければならない。
その分は「損失」となる。
そこで、期限切れの商品をいじりなおして、新たな「商品」として「再販」した。
これが赤福がやった「不正・不法行為」である。

それにしても、期限過ぎのものを再販して、ハライタを起こしたものが
いなかったのだろうか。
「赤福中毒事件」なんて聞いたことがない。
よほど強力な「防腐剤」をいれていたのか。
そうなると「食品添加物」の法律に違反するのでは…。

こんな滅茶苦茶な「期限破り」をしていながら、
赤福が今日までなにごともなく「ごぶじ」だったとは。
食品の「期限」の問題を、江戸時代の赤福は、どうやって解決していたのか。
江戸人は、現代人より胃腸が強かったのかな。
江戸時代の「食品安全法」とやらを知りたいものである。

投稿者 takaakira : 11:42 | コメント (0)

2007年10月20日

大相撲・行司の「中立制」はない

今朝まで朝日放送の「朝までテレビ」を見ていた。
時津風部屋の死亡事件と朝青龍の仮病事件がテーマだった。
その中で世界のスポーツで例を見ない日本の大相撲の特徴として

(1)力士のちょんまげ。
(2)身体の一部が土俵から出ただけで負けとなるルール。
(3)力士が臀部(おしりを)まるだしにしている。
   男性の臀部は西洋では「悪」のシンボルだそうな。
(4)取り組みの勝負の時間が極端に短い(平均8秒とか)。

などの点を上げていたが、私はこれに「審判制度」を加えたい。
大相撲の審判制度はまったく不合理で、おそらく世界でも理解されないだろう。
審判はなによりも「中立性」が求められる。
これが大相撲の「審判制度」には、ないのである。

大相撲の審判員つまり「行司」は現在定員45人。
横綱格の木村庄之助と式守伊之助の二人を頂点に三役格、幕内格、十両格、
以下幕下、三段目、序二段、序の口まで、力士と同じ序列が出来ている。
土俵上での衣装が地位によって異なる。軍配の房の色も異なる。
白足袋に草履を履けるのは横綱格だけ。幕内格は白足袋だけ。幕下以下はハダシ。
幕内の力士は土俵上では、横綱以下全員「回し」だけで、行司のような差はない。
この審判の衣装の差別も、外国では理解できないかもしれない。

さらにすごいのは、これらの行司が全員いずれかの「相撲部屋」に、
「所属」していることである。
土俵上で勝負を争う力士の部屋に、行司も所属しているのである。
現在最高の地位にある立行司・木村庄之助は「伊勢ノ海部屋」の所属である。
もう一人の立行司・式守伊之助は「立浪部屋」に所属している。

プロ野球で言えば、審判員が巨人や阪神などの各チームに所属しているようなもの。
こんなことでは、審判の中立性は保てない。
こんなことがプロ野球で現実に起こったら、試合はどうなるのか、
観客はどう対応するのか。バカらしくてまともに試合を見ないかもしれない。

さすがに大相撲でも、これはひどいと行司の「独立」つまり「行司部屋」を
創設したことがある。その行司部屋から幕内力士(房錦)が出て話題になった。
1958年(昭和33年)のことだが、1973年(昭和48年)に行司部屋は廃止され、
行司は再び各部屋所属となった。
行司の「中立制」は、わずか15年の短命に終わった。
その間に行司全員がストライキをするなどトラブルもあった。

横綱格から幕内、十両まで20人の関取格行司の所属部屋の一門別人数は
次のようになっている。カッコ内が所属する行司の人数。
立浪一門(8人)、時津風一門(3人)、二所ノ関一門(3人)、高砂一門(3人)
出羽海一門(2人)、独立・高田川(1人)

このように行司は全員いずれかの相撲部屋に絡め取られているのである。
これで、よくぞ審判の「中立性」を保つことが出来るものだ。
ほかのスポーツでは、こんなことはまさに「非常識」極まりないことである。

ところが、現実にはこんな行司の「判定」に対して、
所属部屋をからめた非難が起ることはない。
「行司と同じ部屋の一門だから贔屓をした」なんていう非難を
聞いたことはない。行司の「中立性」が疑われたこともない。
このような行司のシステムを、重大問題とやかましくいうものもいない。

ここのところが、日本人の「不思議」なところである。
論理的には「非常識」なシステムではあるが、現実ではそれを黙認しているのだ。
日本人はなぜ、行司の中立性を声高に論じようとしないのか。
こんなことでは、日本の大相撲は国際的に認められないだけでなく、
不合理な恥ずかしいスポーツである、と自虐的な論調が起ってもよいのに…。

だから、だから、日本の大相撲は日本人のための日本人による「行事」なんだ。
スポーツでは断じてないっ!
行事でありお祭りであるのだ。
もともと「勝ち負け」にこだわつていないのだ。
だから審判の「中立性」なんて、どうでもいいんだ。
これを「国技」といってもよい。
よそ者が入ってきて、やたら「勝ち負け」にこだわってくれては困るんだよ。

投稿者 takaakira : 12:24 | コメント (0)

2007年10月18日

みんな「亀田」を忘れましょう

いやな不愉快な「お詫び会見」だった。
とても「お詫び」だなんていえるものではなかった。
でも、亀田親父の心境はよくわかる。

マスコミやファンが「やれ!やれっ!」とけしかけておきながら、
様子が変わるとバッシングとくる。これでは、やってられるか。
仕方ないから、一応謝っとくだけや。

こんなところだろう。
でも、もうそんなこと、どうでもよい。
国民はこれを機会に「亀田」を忘れましょう。
ボクシングの「亀田」を忘れましょう。

今度の騒動の最終的な責任は、われわれ日本国民にある。
マスコミがいかに亀田一家をアオっても、国民がそれに乗らなかったら
こんなことにはならなかったのだから。
おかげで、なにごとも「勝てばよい」という、
打算功利のすさんだ風潮を作り上げ、さらにボクシングを汚してしまった。

われわれは、もう二度とこんな国民的犯罪を犯してはならない。
テレビの亀田謝罪?をみながら、心に誓った。

まず、亀田一家興行のボクシングの会場には近づかない。
会場に「閑古鳥」が啼けば万々歳。
不幸にして会場にはいったら、亀田選手に対して「ブーイング」を吹きつけよう。
テレビの「亀田番組」はスイッチオフ。

とにかく亀田一家をみると、我々は自らの犯した「罪」を思い知らされる。
マスコミにのって「亀田」に燃え上がった、情けない自分が映し出される。
こんな悪夢にはもう耐えられない。
亀田一家が「心を入れ替えて再出発」しても、われわれはまたこの「罪」を
思い出すことになる。
「再起を期待する」なんて、カッコいいことを言うわけにはいかない。

それにしても、亀田選手にゴールデングロブまで贈ったテレピキャスターが
一転、厳しい批判者になったのには驚いた。その「豹変」のすごさ。
マスコミはまさに「君子」であるのか。
われわれ国民は自らも「付和雷同」の罪を犯し、頼るべきマスコミ評論家は
あっさり「豹変」する。
こんな社会、こんな人生、
なんて考えると「亀田問題」までがチッポケになってしまう。

投稿者 takaakira : 14:52 | コメント (0)

2007年10月14日

チャンピオン内藤は強くなかった…

亀田兄弟父子については書かないつもりだったが、
こんどのマッチに落胆したので一筆触れる。
亀田選手のことなんてどうでもよい。
チャンピオン内藤のことである。

チャンピオン内藤は、これでチャンピオンといえるのか。
14位もランク下の亀田選手を一回もダウンさせなかったとは。
パンチが強いはずのチャンピオンが、亀田選手をぐらつかせるパンチを
食らわせることもできなかったとは。
試合後に「戦いにくかった選手だ」とチャンピオンはいった。
14位も格下の亀田選手に、こんなていたらくでチャンピオンといえるのか。
情けない。

14位もの格差があり、試合前の暴言で怒り心頭に発したチャンピオンは、
きっと亀田選手をリングに叩きつけてくれるものと期待した。
それを見たさにテレビの前に座ったのに、試合はクリンチがらみの下品な
ものだった。チャンピオンが、生意気な亀田選手を完膚なきまで叩き潰す
こともなく、対等の選手が対戦しているような錯覚に陥るような試合振りだった。

チャンピオンとはこの程度のものなのか。
最近のチャンピオンが弱くなったのか。
亀田選手の反則よりも、
このチャンピオンが強くないことの方が気になった試合だった。
こんなことでは、次の防衛戦に暗雲立ち込める?

投稿者 takaakira : 13:11 | コメント (0)

台湾の「建国記念日」に思う

10月10日は台湾の「建国記念日」である。
台北市で例年行われるその記念式典で、久しぶりに軍事パレードが行われた。
軍事パレードは16年ぶりのことで、新型のミサイルなどが初公開された。
ただし、中国大陸を攻撃できる巡航ミサイル「雄風2E型」の公開は見送られた。
中国への配慮だろうか。

私はこの台北の式典に参加したことがあるが、整然たる行進とマスゲームなどを
見ながら「毎年こんなことをしなければならない国民は幸福なんだろうか?」との
疑問をもったものである。
そういえば、終戦前の日本でも2月11日を「紀元節」として建国を祝っていた。
各学校で式典があり、紅白の饅頭をもらってその日は学校は休みとなっていた。
いまはそんな行事はなく、国民には「建国」という意識もない。
かつての「紀元節」の建国は神話の世界のこととして、あっさり否定されている。

ところで、台湾のこの「建国記念日」とは…。
清朝政府に反対するため、1911年10月10日武昌で起こった武装蜂起が
中華民国政府樹立の発火点となったことから、この日を「建国記念日」とした。
「10」が二つ並ぶので「双十節」という。
もともとは、大陸でのことである。

つまりこの記念日は大陸における「中華民国」の建国記念日であって、
歴史的にみると「台湾人」の記念日ではないということになる
武昌蜂起が起こった1911年は明治44年のことで、
当時日本統治下にあった台湾の人々にとって、この革命は
「隣の国の出来事」であった。
戦後大陸から台湾に逃れてきた蒋介石の国民党政府が、
この「隣国の出来事」である「建国記念日」を台湾に持ち込んだのである。

そしてこの台湾人と本来は関係のない縁もゆかりもない「建国記念日」を、
台湾の政府は営々と今日まで続けているのである。
国民党政府なら理解できるが、台湾人の政権となった現在の民進党政権でも
この式典を廃止することはしない。

台湾国民の中に、現在の台湾の国旗と国歌は中華民国のものであって
台湾人のものではないとして、認めないものが少なくない。
陳水扁総統の就任式で国歌斉唱のとき、呂秀蓮副総統が口を真一文字に閉じて
国歌を歌わなかったのを見て、驚いたものである。
この式典の後、国旗が会場のあちこちに捨て散らかされてあり、国民党がそれを
テレビで「国旗を愛さない」としとて民進党攻撃に利用していた。

それでも民進党の台湾政府は「建国記念日」を廃止することはしない。
国民党の蒋介石総統の生誕・死去の記念日は廃止したのに…。
それなら台湾の正しい「建国記念日」を新たに設定する方が合理的であろう。
たとえば、日本の敗戦により国府軍が台湾の基隆に上陸した10月17日、
などである。

ただし、この日は大陸の国民党政府が台湾支配のための第一歩を記した
台湾人にとって「屈辱の日」とみる台湾人もいる。
さらに、終戦により台湾人は日本政府の支配から、国民党政府の支配に
変わったに過ぎない。まだ真の「独立」を果たしていないので
「建国記念日」なんてあるはずがない、という意見もある。

かつては紀元節という「建国記念日」をもっていた日本人は、
いまは「建国記念日」はもっていない。
敗戦により連合国から取り上げられたのである。
といった理屈をつけて「建国記念日」を復活させようという動きはないんだろうか。

投稿者 takaakira : 12:03 | コメント (0)

2007年10月12日

時津風親方に退職金を?

大相撲時津風部屋の死亡事件で、時津風親方の「解雇処分」は
間違いないという。

ところで、その前に親方の名跡交代を済ませておくとか。
時津風親方がもっている「時津風」の名跡を、同部屋所属の枝川親方が
継ぐと見られている。
とすると「枝川」の名跡が宙に浮いてしまう。
そこでこの「枝川」を現在の時津風親方が継ぐとか…。
枝川と時津風の名跡交換である。
時津風親方はまだ解雇されていないので「名跡交換」をする資格がある。

この結果、時津風親方が解雇されて相撲界を去るときは「枝川親方」として
去ることになる。
この場合親方は、この名跡を売ることができる。
退職金のようなものだ。
これでは何のための「解雇」か分からなくなってしまう。
「依願退社」と同じようなものだ。
この話、どこまでホントか?
ホントなら、時津風親方のままで、解雇処分を下すべきではないのか。

投稿者 kimoto : 17:01 | コメント (0)