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2007年10月20日

大相撲・行司の「中立制」はない

今朝まで朝日放送の「朝までテレビ」を見ていた。
時津風部屋の死亡事件と朝青龍の仮病事件がテーマだった。
その中で世界のスポーツで例を見ない日本の大相撲の特徴として

(1)力士のちょんまげ。
(2)身体の一部が土俵から出ただけで負けとなるルール。
(3)力士が臀部(おしりを)まるだしにしている。
   男性の臀部は西洋では「悪」のシンボルだそうな。
(4)取り組みの勝負の時間が極端に短い(平均8秒とか)。

などの点を上げていたが、私はこれに「審判制度」を加えたい。
大相撲の審判制度はまったく不合理で、おそらく世界でも理解されないだろう。
審判はなによりも「中立性」が求められる。
これが大相撲の「審判制度」には、ないのである。

大相撲の審判員つまり「行司」は現在定員45人。
横綱格の木村庄之助と式守伊之助の二人を頂点に三役格、幕内格、十両格、
以下幕下、三段目、序二段、序の口まで、力士と同じ序列が出来ている。
土俵上での衣装が地位によって異なる。軍配の房の色も異なる。
白足袋に草履を履けるのは横綱格だけ。幕内格は白足袋だけ。幕下以下はハダシ。
幕内の力士は土俵上では、横綱以下全員「回し」だけで、行司のような差はない。
この審判の衣装の差別も、外国では理解できないかもしれない。

さらにすごいのは、これらの行司が全員いずれかの「相撲部屋」に、
「所属」していることである。
土俵上で勝負を争う力士の部屋に、行司も所属しているのである。
現在最高の地位にある立行司・木村庄之助は「伊勢ノ海部屋」の所属である。
もう一人の立行司・式守伊之助は「立浪部屋」に所属している。

プロ野球で言えば、審判員が巨人や阪神などの各チームに所属しているようなもの。
こんなことでは、審判の中立性は保てない。
こんなことがプロ野球で現実に起こったら、試合はどうなるのか、
観客はどう対応するのか。バカらしくてまともに試合を見ないかもしれない。

さすがに大相撲でも、これはひどいと行司の「独立」つまり「行司部屋」を
創設したことがある。その行司部屋から幕内力士(房錦)が出て話題になった。
1958年(昭和33年)のことだが、1973年(昭和48年)に行司部屋は廃止され、
行司は再び各部屋所属となった。
行司の「中立制」は、わずか15年の短命に終わった。
その間に行司全員がストライキをするなどトラブルもあった。

横綱格から幕内、十両まで20人の関取格行司の所属部屋の一門別人数は
次のようになっている。カッコ内が所属する行司の人数。
立浪一門(8人)、時津風一門(3人)、二所ノ関一門(3人)、高砂一門(3人)
出羽海一門(2人)、独立・高田川(1人)

このように行司は全員いずれかの相撲部屋に絡め取られているのである。
これで、よくぞ審判の「中立性」を保つことが出来るものだ。
ほかのスポーツでは、こんなことはまさに「非常識」極まりないことである。

ところが、現実にはこんな行司の「判定」に対して、
所属部屋をからめた非難が起ることはない。
「行司と同じ部屋の一門だから贔屓をした」なんていう非難を
聞いたことはない。行司の「中立性」が疑われたこともない。
このような行司のシステムを、重大問題とやかましくいうものもいない。

ここのところが、日本人の「不思議」なところである。
論理的には「非常識」なシステムではあるが、現実ではそれを黙認しているのだ。
日本人はなぜ、行司の中立性を声高に論じようとしないのか。
こんなことでは、日本の大相撲は国際的に認められないだけでなく、
不合理な恥ずかしいスポーツである、と自虐的な論調が起ってもよいのに…。

だから、だから、日本の大相撲は日本人のための日本人による「行事」なんだ。
スポーツでは断じてないっ!
行事でありお祭りであるのだ。
もともと「勝ち負け」にこだわつていないのだ。
だから審判の「中立性」なんて、どうでもいいんだ。
これを「国技」といってもよい。
よそ者が入ってきて、やたら「勝ち負け」にこだわってくれては困るんだよ。

投稿者 takaakira : 2007年10月20日 12:24

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