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2009年10月24日
偶感
ふと心に浮かんだ我がブロークン英語
ノーボディー ヒア そしてだれも いなくなった アガサクリスティー
ノーチェンジ ヒア そしてなにも かわらなかった ハトヤマユキオ
もうすぐこんなことになる。
庶民は「一掬の夢」を見たようなもの。
救いなき我が日本民族よ。
やっぱりアメリカは強かった。
日本はまだ「敗戦国」なんだ。
嗚呼 慟哭 !!!!
ウナギ屋の前を、蒲焼の匂いをかいだだけで通り過ぎたようなもの。
そんな不謹慎なことを言っちゃあダメ。
大変革のときに、もっともふさわしくない人が「総理大臣」になったもんだ。
歴史に残る「不適材不適所」であるかも...。
テレビでうつろな目をした「総理」が懐かしくなる日も近い。
未完 未完 未完...
投稿者 takaakira : 22:52 | コメント (0)
2009年10月22日
「天下り」の定義を厳しくしよう
郵政の新社長が発表された。
官僚中の官僚、大蔵省OBだ。
「脱官僚」のマニフェストの民主党が、なんてことをするのか、と厳しいコメント。
といいたいが、意外に騒がしくならない。
鳩山総理の「なんでもかんでも官僚はダメということではない。
デキルひとは官僚OBでも使っていく」の説明及び弁解と屁理屈で、
国民の皆様は「納得」されるんだろうか。
もうそんなわずらわしいことは止めて、言葉の解釈を「厳密」にすればよい。
その解釈、定義にあわないものはすべて除外することだ。
そこで「天下り」を言葉のとおり厳密に定義してみよう。
この定義に合致しないものは、すべて「天下り」ではない。
さて問題の定義は...はっきりしている。
天下り...「天」つまり「そら(空)」から地上に降りることである。
航空機を使うもよし、パラシュートでもいいだろう。
これこそまさに「字義通り」の天下りである。
この定義でいけば、今回の郵政の新社長は落下傘も付けておらず
「天下り」ではない。はっきりしている。
「天下り論争」なんて止めようではないか。
それがニホン国のためになるんだよ。
これで今朝はすっきりした。
投稿者 takaakira : 06:11 | コメント (0)
2009年10月21日
私の好きな食べ物トッブ10
(1)焼きマツタケ......焼き立てをカボスとショウユで。外国産はきらい。
(2)乾燥カズノコ......今は塩カズノコ全盛だが味では「乾燥」に勝てない。
(3)うな重......関東風でないとダメ。大分市には羽屋に一軒しかない。
(4)焼きメンタイ......少年時代からの美味。生メンタイはきらい。
(5)クルマエビの天婦羅......生簀からでないと。芳しさと甘さがたまらない。
(6)イセエビ......調理法は問わず。舌触りが快感。生き作りはダメ。
(7)フカヒレ姿煮......最高としたいがなんとなくこのあたりになった。
(8)フグ刺し......白焼きの方がもっとよい。食事のおかずになりにくい。
(9)舌ヒラメのムニエル......我が好みのただ一つの西洋料理。
(10)キャベツのヌカヅケ......ヌカヅケ中の白眉?母と家内は名人だった。
我が食事人生のなんと貧相なことか。
テレビでの豪華なメニューを若者が食べるシーンに腹が立つ。
ついでにきらいなものも。
私のきらいな食べ物ワースト5
(1)肉類すべて......加工品もダメ。ひき肉だけは例外。
(2)フォアグラ......生臭くて。ランクにより味の格差がひどいのが気に入らん。
(3)フグの眞子......見るからに生臭さそうで当たりそう。
(4)アジ寿司......酢でしめているとか。それが生クサイんだよ。
(5)酒類......食べ物ではないがね。とにかくきらいなんだ。
民主党の貧弱ぶりが露呈している緊急事態なのに、
こんなことやっていていいんだろうか。
投稿者 takaakira : 09:10 | コメント (0)
2009年10月18日
今朝食べた10年前の数の子 おいしかつたねー
家内が介護施設に入居して、いまや私は年金暮らしの独居老人。
冷蔵庫の整理をした。
容量500リットルを軽く超える大型なので、冷凍室も結構大きい。
その冷凍庫がいっぱいなのが気になっていた。
家内はこの中に、なにを詰め込んでいるのか。
いろいろなパッケージがあり、それぞれに品名と購入日時を記入していた。
料理マニアの家内だけに、料理の材料がほとんどだった。
聞いたこともない食材や調味料から、世界の珍味まで各種様々。
保存期間が長すぎるものや、私が知らないものなどはすべて捨てた。
残ったのはタラバガニとキャビア、それに数の子。
私の「食歴」とは、このていどだ。
いずれも10年以上の前のもの。
冷凍庫といっても、果たして10年もの長期間、
食べられる品質を維持することが可能なのか。
キャビアは瓶詰めなので、もしかしたらOKかもしれない。
一方、数の子とタラバガニはポリエチレンの袋に入れて新聞紙で包んだだけ。
可食OK、と簡単にいうわけにはいかない。
若干吟味の要ありだ。
まずタラバガニ。
ボイルではなく「生」で、ゴチゴチに凍結している。
ワンパック2000円程度のものが2パックある。
一つは色も形もまったく変化なく、食べられそうだが、
もう一つは肉に黄色になった部分があるのが気になる。
そこでまず「安心」の方を食べることにした。
鍋にしたいところだが、面倒だし一人で鍋では、わぴしいではないか。
というところで「芙蓉蟹(カニタマ)」にした。
カニタマの素が売ってあるから...。
結果はグー。結構いけた。
蟹の身たっぷりのカニタマが出来た。
そして、10年前もなんのその、
おいしいカニタマを食べることが出来た。
もう一つは、黄色が気になるので食べずに捨てた。
次は数の子「乾燥数の子」である。
乾燥数の子はギリギリまで乾燥している。
椎茸以上である。木の葉っぱぐらいの大きさで、吹けば飛んでしまう。
テレビで、若いタレントがこの乾燥数の子をそのままかじって
「こんなの食べられないっ」と、「塩」しか知らない、
馬鹿丸出しをやっていた。
我が家の数の子、一見なんの変化もなく、無事に食べられそうだ。
10年の年月、変化はまったく感じられない。
そこで我が家のしきたりに従って、
まず米の研ぎ汁に乾燥数の子を二日間ひたす。
そして、一片をかじってみたら、
あの昔懐かしい「数の子」の味がするではないか。
「乾燥数の子」の味である。
味覚がほとんどなくなった私なのにである。
感激。
希望に燃えて、次にたっぷり醤油に漬け込んだ。
二三日で食べられる。
けさ、それを食べた。
期待通りの「数の子」だった。
10年の「変化」を拒否する冷凍庫の威力に脱帽。
ただし、この数の子は国産(北海道産)ではなく、カナダ産のようで、
味に深みが無い。そんな贅沢なこといって気取るな、と反省。
残るはキャビアだが、これは当分そのままにしておこう。
ロシア大使館からのプレゼントなのでニセモノではないはず。
それにしても、冷凍庫の威力は、たいしたもんですなー。
投稿者 takaakira : 09:55 | コメント (0)
2009年10月17日
栴檀は双葉より芳し 囲碁若き名人誕生
囲碁の新名人誕生。
史上最も若い名人である。
昨年の名人タイトル戦で、現代最強といわれる張栩名人と対戦、
4勝3敗で悔し涙を流した(号泣した)のに引き続いて再度の挑戦で、
見事棋界最高のタイトル「名人」を奪取した。
それも記録つきの若さでのタイトル獲得である。
それまでの記録である趙治勳九段の「王座」獲得年齢21歳11カ月より
一歳以上も若い20歳4カ月である。
名人タイトルに限ってみると、林海峰九段の23歳4カ月の記録がある。
井山新名人は、それを3歳も縮めたのである。
敗れた張栩さんは、まだ4つタイトルを保有し、
その牙城は容易には揺るぎそうもない。
この両棋士の対局が、これから大いに楽しみである。
張さんは外国人棋士である。
日本の囲碁界はいまや外国人棋士によっ席巻されようとしている、
あるいは席巻されている。
という現在の状況に日本人の「名人誕生」によって、
その流れにブレーキをかけたともいえようか。
ところが、不思議なことにこの「日外対局」、大相撲ほど燃え上がるものが
私の心の中にわいてこないのだ。
それより、張さんの名人位失墜を惜しむ気持ちの方が強い。
張さんの「七冠制覇」が遠のいたことを惜しむ思いも否定できない。
蒙古人に制圧され協会、観客ともに馬鹿にされている日本の大相撲にも、
そんな強力な日本人力士が生まれないものかと口惜しい。
囲碁界に対しては、そんな思いもなく棋士の国籍に関係なく楽しんでいる私は
久しぶりに「アンチ張栩」の「国粋主義?」を奮い起こそうとしたがダメだった。
囲碁界のガイジン棋士は、見事に囲碁の伝統を尊守して、
日本人以上に日本人棋士だとさえ言える。
憎悪の対象にならないのだ。
大相撲の蒙古人たちよ、彼らを見習えといいたい。
腹が立ってきたので、ちょっとした表をつくってみた。
囲碁七大タイトル初獲得時年齢順位
初タイトル 獲得年齢 入段年齢 タイトル獲得数
(1)井山裕太(20) 名 人 20歳 4カ月 14歳 4
(2)趙 治勳(53) 王 座 21歳11カ月 11歳 71(史上最高)
(3)山下敬吾(31) 碁 聖 21歳11カ月 15歳 15
(4)石田芳夫(61) 本因坊 22歳10カ月 15歳 24
(5)柳 時勳(38) 天 元 23歳0カ月 17歳 8
(6)趙 治勳(53) 碁 聖 23歳1カ月
(7)林 海峰(67) 旧名人 23歳4カ月 19歳 35
(8)張 栩(29) 本因坊 23歳5カ月 14歳 29
(9)張 栩(29) 王 座 23歳10カ月
(10)小林光一(51) 天 元 24歳4カ月 15歳 59
すばらしい、プロ棋士になった(入段)のが全員、成人前である。
15歳以下中学生棋士が6人、中学卒業後は2名しかいない。
しかも彼らはその後も大活躍をしている。
小学校5年でプロ棋士となった趙治勳さんは、これまでに71もの
タイトルを獲得している。史上最高記録である。
張前名人の舅である小林九段も、59ものタイトルを獲得してきた。
まさに「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」である。
「早熟の天才」なのだ。
井山新名人は、一見強そうにはみえない。鋭いという感じもしない。
ごく普通の若者で、たいへんシャイのようにみえる。
こんな大記録をつくろうなんて、思いもよらない人である。
頼りなげにさえみえるときがある。
ところが、話している姿を見ると、これが20歳の若者とは思えない。
落ち着いて、配慮の行き届いた発言、出来すぎて面白くないほどだ。
そしていて、対局するとスケールの大きく、そのうえ緻密な碁を打つのだ。
このひとの対局をみていると、そんな感じがする。
逆に解説者の「力量」が問われる、
つまり普通のプロのレベルを超えた碁を打つのだ。
それを見事に解説してくれると、一段と碁が面白くなる。
囲碁「三級」の免状の私でも、その素晴らしさがよく分かる。
だから囲碁は楽しい。
投稿者 takaakira : 15:52 | コメント (0)
2009年10月15日
世界唯一の核被爆都市広島長崎にオリンピックは冒涜である。
米国による核兵器の人体実験的投下によって数十万人の犠牲者を出した
ニホン国の広島、長崎の両都市が、オリンピック招致を名乗り出ようとしている。
核被爆がなんでオリンピックとなるのか、私には分からない。
悲惨な「犠牲」が、半世紀も経つと楽しい世界の「祭典」に変わるのか。
東京が負けたので、こんどは目先を変えて両都市の「犠牲者」を担いで、
世界の同情票をかき集めようというのか。
尊い命を懸けるには、オリンピックはあまりにも汚れすぎている。
両都市へのオリンピック招致は、長崎と広島の犠牲者に対する
耐え難い冒涜である。
原爆の犠牲者とご家族が、オリンピックを心から喜ぶだろうか。
被爆から半世紀も過ぎると、被爆地の感覚もこのように変わってしまうのか。
両都市がこの名乗りを上げるに際して、事前に市民の意向をきいたとは
いまのところ確認されていない。
市民乖離のお役人の決定ではないのか。
オリンピック招致による「波及効果」なんて議論が出ているが、
ますますもってケシカランコトである。まったくもって許しがたい。
オリンピックという世界的利権まみれの行事で、
両都市の原爆犠牲者を汚してくれるな。
我々国民と市民は声を大にして、こんな不浄、不条理な運動の中止を
叫ばなければならない。
世界唯一の核兵器被害国として、オリンピックなんかよりも、
もっと根源的で永続的な運動、キャンペーンがあるはずだ。
いまからでは、オバマ大統領に「核廃絶」の遠吠えで先行されて、
いささか遅いかもしれないが、それでもオリンピック招致よりはマシである。
テレビで、この「招致」を喜ぶ意見ばかりが目に付く。
マスコミはなにをしてるのか。
核被爆都市へのオリンピックの是非をめぐるキャンペーンをやらんのか。
一日も早く、こんどの「誘致」が消えることを切望する。
オリンピックなんて、原爆被害者を汚す以外の何物でもない。
そんな国際的な「大汚物」を広島、長崎に持ち込むな。
いまや世界は核兵器廃絶どころか、その反対の核兵器恐怖の時代である。
小国が核兵器を持つようになり、その使用への危険性が言われている。
広島長崎の悲惨な尊い犠牲者は、そうしたことを抑止する力にはなっていない。
歴史として化石になろうとさえしている。
そんな中で、被爆都市で、火傷で全身の皮膚が焼け爛れた人々が、
のた打ち回り多くの生命が失われた広島と長崎で、にぎやかにオリンピックを
開こうという気持ちになれますか。
核廃絶が現実に進行しておれば、状況は異なってきます。
投稿者 takaakira : 18:33 | コメント (0)
2009年10月14日
加害者の平和賞と被害者のオリンピック誘致
最近むかついたニュースが二つある。
アメリカのオバマ大統領のノーベル平和賞受賞と、
広島長崎のオリンピック誘致の二つである。
世界最大の核兵器を所有し世界にばら撒きながら、
10年後に核兵器を廃絶する、と吼えただけで、
実現の手がかりも無いのに、なんで平和賞なのか。
その核兵器の世界唯一の「生体実験」にされた広島長崎が、
なぜ汚職、利権まみれの薄汚れたオリンピックを持ち出すのか。
犠牲者の冒涜ではないのか。
ただし、両都市が五輪を誘致をしたがる思いは、分からんでもない。
核兵器でオバマ大統領がノーベル賞を授賞されるのに、
アメリカによってその原爆を落とされた唯一の被爆都市の広島長崎、
そして日本が、なんにもしないというのでは、
面子にかかわるというところだろう。あせったんだろう??
本当は、核兵器廃棄については、日本こそがノーベル平和賞を
受賞すべき世界史的な権利があると私は思う。
アメリカはノーベル賞どころか、唯一の核兵器による人体実験国として
反省すべきである。
ノーベル賞どころか「イグノーベル賞」ももらえんだろう。
それをあろうことか「加害者」の方が先にもらっちゃった。
オバマ大統領が、核兵器を世界で初めて使用した国として
自らを認めたのに続いて核兵器廃絶を叫んだ。
この二連発が、ノルウェーの平和賞選考委員の心を打ったのだろう。
それに中国と並んで反省なき大国であるアメリカが、
反省らしいことをもらしたのもありがたかったのかもしれない。
大国の無意識の圧力である。
これまでの授賞でもで分かるように、平和賞選考委員の先生方は
「イタズラ」や「ブラックユーモア」がお好きなんだ。
核兵器の使用を認め、その廃絶を演説するという一見自己撞着のような
「二連発」で、みごとノーベル平和賞を射止めたことが、
米国の広告キャンペーン企業のノーベル賞獲得戦略だったとすれば、
まさに「お見事!」といわざるを得ない。
それにしても、平和賞選考委員の感覚は、私には理解することができない。
本来は、アメリカが核兵器の世界初使用を認めるだけでなく、
さらに一歩進んで、その核兵器による「人体実験」を世界で初めてやった
ことへの反省をして、国連の場で日本国民へわびるべきである。
ということは、日本こそがこの核兵器の世界唯一の「被爆国」つまり
アメリカの「加害者」に対して、日本は「被害者」なである、
ということを世界に宣言して、世界の核兵器廃絶運動の中核と
なるべきである。それが本来の流れのはずだ。
ところが、わが日本は加害国アメリカへの遠慮なのか、
そんな世界規模の核兵器廃絶運動はほとんどやってこなかった。
「原爆投下の日」に式典をして鐘鳴らして黙祷するだけ。
日常的な戦いはまったくしてこなかった。
「核兵器廃絶」を身をもって世界に要求できる、
悲惨だが尊い権利を持っている日本国がなにもしてこなかったのだ。
オバマ大統領のノーベル賞受賞で、私は口惜しくてらなかった。
広島長崎の犠牲者の方々に、なんといってお詫びをするのか。
それを「オリンピック」では、あまりにも情けないというより薄汚い。
実に不快なニュースである。
それなのに、この二つを喜ぶ日本国民のなんと多いことか。
情けない!!
言った言わないで、広島市と広島県がもめているそうだが。
いかにも日本的だなあ。救いようが無い馬鹿どもである。
投稿者 takaakira : 06:22 | コメント (0)
2009年10月 6日
中川昭一と鈴木宗男両代議士の間を取り持つ私??
30年余り前のこと、ある式典で、このたび亡くなった衆院議員の中川昭一さんの
隣に座ったことがある。
そのころ、大分市は北海道の帯広市と姉妹都市であり、毎年交替で植樹祭を
開いていた。
帯広市で開かれた植樹祭のときだった。
会場に早く来たためか、来賓席にはだれも座っていなかったので、
勝手に最前列に座った。
わざわざ最南端の九州からやってきたのだからというわけでもあるまいが。
とにかく「ふとなにげなく」座ったのである。
ぼつぼつ来賓席が埋まっていった。
ところが、なんとなく雰囲気がオカシイ。
私の周囲に、大分市関係のものが一人も見当たらない。
かれらは一体どこに座っているのだろう。
それに周囲の地元の来賓が、私をチラチラ見るのが気になる。
その目に私に対する「非難」の思いが読み取れる。
だんだん「針のむしろ」に座っている感じになってきた。
式典が終わったら、どこからともなく大分市関係者が現れて、
その「針のむしろ」の謎を解いてくれた。
私が座った来賓席は地元のコーナーで、そのうえ国会議員の「指定席」だった。
だのに、どこの馬の骨とも知れないよそ者が、
地元の「先生」の席を奪ったのである。
これでは「非難」されても仕方あるまい。
ところが、話はこれだけではない。
この指定席は、中川昭一さんと鈴木宗男さんのものだったのだ。
この二人は中川一郎さんの自殺により、後継の座を争った仲である。
昭一さんは「父を継ぐ」といい、宗男さんはそれまで勤めた一郎さんの秘書として
「師匠の跡を継ぐ」と一歩も譲らず、まさに「骨肉の争い」として話題になっていた。
二人とも当選したものの、まったく仲が悪い。
来賓に招くとき、主催者は二人の「先生」の席順などにたいそう苦労するそうだ。
帯広市の植樹祭で、偶然そんな二人の仲に私が割り込むことになったのだ。
不仲の二人が私を間にして、私の両脇に座らざるを得ないことになったのである。
私は気がつかなかったが、私の左右に中川昭一と鈴木宗男という、
まさに「犬猿の仲」の代議士が座っていたのだ。
これにはびっくりこいたね。
当時二人はまだ「新人」だったので、私は二人の顔を知らなかったんだ。
「あなたのおかげで、二人はうまく納まったようなもの、けがの功名だね」
なんて冷やかされたものである。
中川一郎代議士の死で、こんなことを思い出した。
投稿者 takaakira : 08:22 | コメント (0)
2009年10月 3日
大統領出席が裏目に?
オリンピックがリオデジャネイロに決まった。
真っ先に落選したのがアメリカだった。
その原因はオバマ大統領ではなかろうか。
この選考委員会にオバマ大統領が出席すると決まったとき、
これでアメリカ票が増えると期待するものが多かったが、
私はいやな予感がした。
オバマさんでは、ヨーロッパの票が逆に逃げるのではないかと。
ヨーロッパはまだまだ伝統的な思考に縛られている国が多い。
ヨーロッパには、オバマ大統領夫人と「ハグ」を避けた首相がいる。
オバマ大統領夫妻は「よく日焼けしている」なんてことをいう首相がいる。
最大の票が集まっているヨーロッパがこんなことでは、
アメリカの得票は怪しくなる。「オバマ出席」が裏目に出るかもしれない。
オバマ大統領の出席が逆に票を減らすことになりはしないか。
オバマ大統領は出席しない方がよいのでは?
こんなことをブログしようと思ったが、投票前であり人種差別にかかわる
ことになるので、控えていた。
ところが私の杞憂が当たってアメリカ落選となったが、
この落選はオバマ大統領にとって重要な意味をもってくる。
この落選がが契機となって、オバマ大統領への「万能信仰」が薄れる。
その反動で風当たりが強くなり、大統領の任期を通例の二期勤めることが出来ず
一期四年で終わるのではなかろうか。
オリンピックがケチのつき始めとなるのである。
さらにいえば、アメリカの国際的地位にもかげりが生じるのではなかろうか。
多極時代を迎えてその可能性はかなり高いといわざるを得ない。
これもいやな予感である。
チェンジチェンジで、舞い上がり、肌の色までチェンジしてみたものの、
興奮が冷めると、アメリカ国民はチェンジが軽率だったと気がついた。
いまでも「暗殺」の危険性がささやかれているそうだが...。
大国アメリカが、オリンピックの場で「恥」をかかされた。
オバマが出なければ、当選しなくても真っ先に「落選」なんていう赤っ恥を
かかなくてすんだかもしれない。
こんな「恨み節」的な思考が広がる恐れを感じる。
コトはオリンピック開催地選考だけではない。
米国全体に広がるかもしれない。気になるところである。